2011年 07月 17日

恩讐の彼方に(青の洞門) 7月12日

歩こう会で岳切渓谷の水中ウォークを楽しんだ後、時間が余ったので『青の洞門』に立ち寄った。
菊池寛の『恩讐の彼方に』の舞台として有名な「青の洞門」は
紅葉で有名な耶馬溪の下流にある山国川河畔(大分県中津市)にある。


        下流側から見た競秀峰と青の洞門
d0124388_15583384.jpg

        観光客が歩いている 駐車場の左側は山国川です。



d0124388_1624329.jpg洞門の傍に立つ禅海和尚の像

禅海和尚は新潟県出身の禅僧で全国を行脚。
山国川中流にある羅漢寺を詣でたとき、
この競秀峰を辿る道が険しく、
人馬の通行に難儀している様を見て、
隧道(洞門)を穿つ決意をする。

着工したのは約250年前、
その穿った長さは342m、そのルートは
現在では国道212号になっている。



d0124388_16232119.jpg青の洞門入り口(上流側)

写真は現在の国道212号線の洞門

競秀峰の急崖を這う危険を解消するため、
川に沿って山裾に洞門を掘るのであるが、
禅海が着手して完成するまで30年を要した。

その間、和尚は托鉢勧進により
近隣の大名や有力者の
協力を得て完成にこぎつけた。



d0124388_22464222.jpgこの隧道は現在の国道212号線

禅海の穿った洞門は現在の国道隧道の
川岸側にところどころ残っている。










d0124388_2301195.jpg禅海による手掘りの洞門

断面積は現在の国道の約4分の1。
処々に川側に開口部を設け、
隧道の明かり採りとしている。

手掘りによるノミの跡が
生々しく残っています。






d0124388_2391059.jpg菊池寛のレリーフ

この禅海和尚をモチーフとして、
菊池寛の「恩讐の彼方に」が創作されたが、
これは全くのフィクション。

禅海は物語にあるような凶状持ちでもなければ、
一人で洞門掘削をはじめたことを
地域の人々から異端視されることも無かったそうです。





        上流側から見た青の洞門(国道)と競秀峰
d0124388_2322695.jpg

菊池寛は地元からみれば、「恩讐の彼方」で耶馬渓・青の洞門を有名にしてくれた恩人だが、
禅海和尚から見たらどうだろう?

凶状持ちにされたり、乞食坊主扱いされたり、全くの濡れ衣である。
禅海和尚は地域の大名や有力者の協力を得て洞門を完成させた後、
通行料を取ったと云う話も残っている。 わが国最初の有料道路か?

それにしても、小説・マスコミ・風評は恐ろしいものだ。
私も現地を訪れ、詳しい説明書きを見るまでは、小説は事実を反映していると思っていた。
菊池寛は禅海をモチーフにしただけだから、別に責められることは無いけど。

現在でもTVの大河ドラマ等でも、史実と異なるストーリがたくさんある。
面白くする為には必要かもしれないが、
多くの視聴者・読者がそれを史実・事実と勘違いして鵜呑みにしているのではないだろうか

[PR]

by dojyou38 | 2011-07-17 15:30 | アウトドアー | Comments(12)
Commented by taminamikawa1 at 2011-07-18 16:22
たまたま新潟出身の禅海和尚が、中津の山国川街道を通りかかった折に、通行の不便さを見かねて、隊道(洞門)の開通を目指して、ノミと金槌で、49歳から79歳までの30年の歳月をかけ、コツコツ手彫りして完成させたと言われております。
禅海和尚の艱難辛苦は、まさに岩をも通す確固たる一念があったればこそ出来た徳行だったのではないでしょうか。
この禅海和尚の手彫りの青の洞門に学ぶ点が実に多い。
Commented by ippu at 2011-07-18 16:23 x
≪青の洞門≫
懐かしいです。
大分以前になりますが行ったことがあります。
よく記憶に残っている場所の1つです。
Commented by hibochan at 2011-07-19 07:47 x
青の洞門
名前だけは 知ってましたがそんな歴史があったとは
素晴らしい景勝地是非訪れたいのですが
Commented by dojyou38 at 2011-07-19 10:22
taminamikawa1さん
禅海和尚のイメージは「恩讐の彼方に」ですっかりイメージが刷り込まれていましたが、実像とは大違い。
現在でも、大河ドラマなどのよって実像と違う歴史上の人物像が作れれているのでしょう。
Commented by dojyou38 at 2011-07-19 10:28
ippu さんは西国の果てまで様々なところを歩いているのですね。
ippu さんが訪れた頃は、まだ禅海和尚が鑿と金槌で掘った洞門がたくさん残っていたことでしょう。
今は国道の整備に伴って、昔の洞門の多くが壊されているようです。
Commented by dojyou38 at 2011-07-19 10:38
hibochan さんのところからは訪れるには遠すぎます。
青の洞門がある景勝・競秀峰が開発・破壊の危機にあった時、
福沢諭吉が纏めて一帯を購入し現状保存に努めたそうです。
Commented by 1944tourist2004jp at 2011-07-19 11:05
DOJYOU38さんおはようございます。
 求菩提山の帰りに五百羅漢にお参りした時、係りの人から紅葉の時期は最高ですよと教えて頂き、一目八景とセットにして行きましたが本当に素晴らしい所でした。
 「TVの大河ドラマ等でも、史実と異なるストーリがたくさんある。面白くする為には必要かもしれないが、多くの視聴者・読者がそれを史実・事実と勘違いして鵜呑みにしているのではないだろうか」、全く同感です。
 悪意はなくても、史実も粉飾をちりばめ過ぎると真実になるような気がします。恐ろしいことです。
このような所でも、言われて久しいエコノミックアニマル振りが現存しているような感じがします。
Commented by dojyou38 at 2011-07-19 15:23
甘党 さん
英彦山から耶馬溪にかけては奇岩怪石の山で紅葉の似合う山が多いですね。
私たちも歴史上の人物像などドラマや小説に影響されることが多いですね。
真実を知った上でドラマや小説を楽しみたいと思います。
Commented by matutaka31 at 2011-07-19 22:16
私も何度か訪れましたが、その度に禅海和尚の執念を感じます。
dojyou38さんおっしゃるように、フィクション、ノンフィクションを明確にしないと誤った歴史観に繋がってしまいますね。
Commented by dojyou38 at 2011-07-20 08:59
matutaka31 さん
歴史上の人物については、細かな人物像までは一般の歴史書には書かれていません。
だから、TVドラマや小説のイメージが読者・視聴者に刷り込まれるのは止む得ません。
TVや小説はフィクションであることを見極めることが大事ですね。
Commented by Uchan at 2011-07-21 09:21 x
北九州中津方面は行ったことはありませんが、景勝地なのでしょうね! 神話か伝説でしょうが、邪馬台国があった地と思っていますが?
Commented by dojyou38 at 2011-07-21 15:44
Uchan さん
耶馬溪は新日本三景にも選ばれた景勝地で、紅葉の頃が特に良いようです。
ただ、邪馬台国と音は似ていますが関係は無いようです。
元々、山国川の上流で山国谷と呼ばれていたそうですが、頼山陽が中国風の文字を当て耶馬溪と呼ぶようになったようです。


<< 念願の根子岳に登る(7月14日)      岳切渓谷(歩こう会 7月例会) >>