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2017年 09月 22日

(伝)大友皇子の陵

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(伝)大友皇子の陵_d0124388_09154786.jpg
先日、大山ハイキングのときに、日向薬師を拝観し、
日向川に沿って1kmばかり大山に向って上ったところに、
「大友皇子の陵」の案内板を目にした。

何で!大友皇子の墓が神奈川県に?と怪訝に思った。

大友皇子は皇位継承をめぐる壬申の乱で
大海人皇子(天武天皇)に敗北し近江で自害したと
高校の教科書で教えられていた。


日向川・御所入り橋を渡り100m余り上流の階段の上に
立派な(伝)「大友皇子之陵」がありましたが、
鎌倉時代に作られたという墓標(五層塔)は
近くの石雲寺 ⇒に移設されていて、レプリカを作成中で
9月中には設置されるとのことで墓地は空でした。

本道に戻り石雲寺に立ち寄りましたが、
こちらも境内の改修中で墓碑などの参拝は出来なかった。


11月の紅葉の頃、改めて相模・大山ハイキングをする
予定なので、改めて墓標など拝観したいと思っています。



石雲寺などの言伝えにによると、大友皇子は壬申の乱に敗れた後、
秘かに僅かの従者と共に東国に逃れ、この地に隠れ住み、淋しい生涯を閉じたとされる。
その後、巡礼修行僧によって大友皇子を開基として石雲寺が建立されたとされている。

調べると、このような大友皇子の伝説は神奈川だけでなく愛知や千葉などにもあるそうです。
なぜ、このような伝説が各地に残っているのか。
高校の授業では知らなかったが、大友皇子は聡明で文武に優れ当時の知識人に慕われていたそうです。
その皇子が25才の若さで悲劇の最後を迎えた同情が義経伝説と同様に生存伝説を生んだのだろうと言われているそうです。




by dojyou38 | 2017-09-22 21:58 | 街並みウォッチング | Comments(12)
Commented by shimasaan at 2017-09-23 04:32
dojyouさん、おはようございます。

あの近くは何度も歩いているのに、日本史にうといのでそんな由緒のあるお墓があったなん…
日向薬師本堂は、ずーーと改修工事中でしたが、もう終わりましたか? それに、里山の彼岸花はいかがでしたか?
Commented by とんぼ at 2017-09-23 07:38 x
 思いもよらないところにこのようなお墓があるのですね。
 歴史の奥深さを感じます。
Commented by PANDORA at 2017-09-23 09:02 x
お早うございます!

 大友皇子の名前は知っていましたが壬申の乱以降の細かいことは
全く覚えていませんでした。歴史の勉強も上辺だけだったようです。

 最近は奈良の歴史をハイキングで少しづつ勉強していますので
機会がありましたら案内したいと思います。

 平家に担がれた安徳天皇伝説も各地に残っていますね!
Commented by hibochan at 2017-09-23 09:05 x
壬申の乱は 聞いたことありますが大友皇子は 知りませんが史跡には ロマンを感じます
つくば市で室町から江戸にかけて有力者跡発見の記事
柄のついた木製の包丁棹秤の錘である銅製の権や天目茶碗など発掘
流通商業の活動拠点だった可能性もある
現場見てみたい
Commented by dojyou38 at 2017-09-23 09:08
shimasaan さん
日向薬師の改修は終わっていました。
ヒガンバナは私が歩いた時は開花始めたばかりでした。
来年はヒガンバナのピークに歩いてみたいと思います。
皇子の陵は三重塔の浄発願寺から100m余り先にある「御所入橋」?のところに案内版がありました。
Commented by matutaka31 at 2017-09-23 09:32
壬申の乱、歴史で教わったことを思い出します。
史実は時に、何処まで本当か?と思わせることに出会うことがあります。
こちらでは、神功皇后の足跡にまつわる史実があります。
北部九州の神社の多くに、神功皇后 の足跡が記されていますが、頭を傾げたくなることがあります。
Commented by dojyou38 at 2017-09-23 09:52
とんぼ さん
大友皇子の伝説が東国に伝わるのは
天智天皇や大友皇子と結びつきがあった百済からの渡来人が
多数関東に入植したことに関係があるのではと言われているそうです。
Commented by dojyou38 at 2017-09-23 10:00
PANDORA さん
日本には判官贔屓の傾向が強いので、
若くして悲劇の犠牲者には生存伝説が生れやすいのでしょう。
安徳天皇や義経などもその典型でしょう。
Commented by dojyou38 at 2017-09-23 10:08
hibochan さん
最近の史跡発掘や遺物研究の技術が進歩し、
歴史の史実が新しく発見されたり、歴史の学説が改められたりしています。
日本の歴史にもまだまだ未知の部分があるようですね。
Commented by dojyou38 at 2017-09-23 10:18
matutaka31 さん
神宮皇后に纏わる言い伝えは弘法大師のそれと数において甲乙付けがたい位多いですね。
このような言い伝えが何時ごろ出来たものか興味あります。
政治的或いは宗教的背景とフィクサーの存在を感じます。
Commented by taminamikawa1 at 2017-09-23 22:00
大友皇子の陵がまだ新しいようですが・・・、
できれば、もう少し詳しい案内板ができると
いいですね。
大友皇子の陵は地域の宝ですから。
Commented by dojyou38 at 2017-09-24 20:21
taminamikawa1 さん
御陵の表示柱は戦後作られたものでしょう。
墓標そのものは鎌倉時代に作られたもので傷みが酷いので
石雲寺に保管されているようです。


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