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2017年 12月 27日

バス停『六代御前まえ』

バス停『六代御前まえ』_d0124388_11064519.jpg
逗子から自宅に向うバスの海岸周りルートの
途中に「六代御前まえ」と言うバス停がある。

葉山に転居後、ユニークな名前のバス停と
思いながら、多分 鎌倉将軍か鎌倉執権の
六代目に由来する名前だろうと、思っていたが
特に調べることはありませんんでした。

ところが最近になって私がボランティアしている
古墳パトロールで、先輩から2号古墳・後円部の
上に「六代御前の墓」が有ると言う伝説を聞く。
伝説とは言え、墓の上に墓があるとは
奇妙なこだなと興味を持ちました。


バス停『六代御前まえ』_d0124388_13525302.jpg
上の写真は2号古墳の後円部で、
伝説で「六代御前の墓」とされるのは中央部に盛り上がった部分とされている。
ここが六代御前の墓と云われている経緯や事跡を私は知りません。


バス停『六代御前まえ』_d0124388_16535587.jpg
これとは別に現在、六代御前のお墓とされている
史跡は2号古墳から400mばかり南に下った
麓・バス停「六代御前まえ」の近くにある。

欅の大木のそばに丁寧に柵が施された
大きな墓標で、花台や水盤も設けられている。

説明板↓を読むと六代御前は鎌倉幕府とは
直接関係のない平家の末裔でした。
何故、ここが彼の終焉の地になったかも
概ね理解できました。

バス停『六代御前まえ』_d0124388_18450402.jpg
調べてみると、六代は幼名で正式な名前は平高清、清盛の祖父・正盛から数えて6代目にあたり、
彼の死によって「平家にあらずんば人にあらず」と喧伝された伊勢平家の嫡流は完全に滅亡したとされる。

この立派な墓標が何時ごろどんな経緯で立てられたものか、機会があったら調べてみたい。
なお、説明にある「田越川」は1枚目の写真・バス停の傍を流れている川です。



by dojyou38 | 2017-12-27 11:01 | 菜園 | Comments(14)
Commented by shimasaan at 2017-12-28 20:00
dojyouさん、こんばんわ

私は日本史にうといのですが、逗子に住んでいた頃は六代御前のすぐ近くに家がありまして、ケヤキの大木の祠(?)に住み着いたフクロウがいて、毎夜、ホーホーと鳴いていたのを覚えています。
その頃、六代御前の前には広場があって、夏には盆踊りや映画の上映会があったり、子供たちは、広場でタコ壺やSケンや野球をして遊んでいました。
また、その頃の桜山は、名のとおりサクラの名所で、春には沢山のお花見客で賑わっていたものです(当時はだれも、まさか山頂に古墳があるなんて思ってもいませんでしたが)。
Commented by とんぼ at 2017-12-29 08:14 x
 歴史にはいろいろなことが残っているのですね。一層興味がわきますね。
Commented by dojyou38 at 2017-12-29 11:18
shimasaan さん
六代御前の前の以前の様子有難うございました。
道路の情況も変わったことでしょうし、現在の情況からは想像が難しいです。
私はただバス停の名前のユニークさと2号古墳で聞いた伝説で
興味を持ち訪ねてみました。

古墳のある桜山には今でもサクラの古木がたくさん残っているようです。
次のサクラのシーズンを楽しみにしています。
Commented by PANDORA at 2017-12-29 11:55 x
こんにちは! 
 バス停の名前から疑問を持って調べられたようですが、
かなり詳しいところまで解明できましたね。
 普通の大学生と東大生ではその辺のところに違いがある
との話です。要は疑問に思ったらそこを更に詳しく調べる
という気持ちが大事なようです。
 私も疑問に思ったらとことん調べないと気が済まない方
ですが、実際は途中で投げ出していることが多いようです。
Commented by dojyou38 at 2017-12-29 14:17
とんぼ さん
壇ノ浦での平家滅亡から14年も経て、
僅か1人生き残った平家末裔も後顧の憂いのため斬首されるとは、
当時の武家社会の非情さを見せ付けられる思いです。
Commented by dojyou38 at 2017-12-29 14:23
PANDORA さん
じゃ私は東大生並みですか???
お褒めに預かり恐縮千万です。
私のは単なる雑学ハンター、それも常に中途半端に終わっています。
Commented by taminamikawa1 at 2017-12-29 21:17
dojyou38さん   こんばんわ。
六代御前まえバス停から推定して、その由来や歴史を調べられたのは好奇心が旺盛だということですね。
好奇心を持ち続けることは認知症にならないと言われております。
Commented by matutaka31 at 2017-12-30 10:44
「六代御前まえ」と言うバス停の名前、私なら?と思っても
何気なくやり過ごすでしょう。
そこがdojyou38さんの鋭いところです。
でも歴史を紐どくと面白いですね。
平家の子孫がこの地で耐えてしまったとは、思いもよりませんでした。
また来年も、耳新しい史実を教えてください。
この1年、ありがとうございました。
Commented by dojyou38 at 2017-12-30 16:31
taminamikawa1 さん
私は最初「六代御前」は女性だろうと思っていました。
それが調べてみると、かの清盛の最後の末裔だったのは驚きでした。
Commented by dojyou38 at 2017-12-30 16:37
matutaka31 さん
平家最後の末裔のお墓とは言え、鎌倉幕府のお膝元とも言うべきところに、
こんな立派な墓標が残っているのは???です。
調べると、大正年間六代御前は疫病避けの守り神として信仰されたそうです。
恐らく、お墓がこのように整備されたのはその頃のことと思います。
Commented by hibochan at 2017-12-31 07:46 x
葉山の海 三浦アルプス 富士山楽しませていただきました
新年もよろしくお願いします
Commented by dojyou38 at 2017-12-31 10:07
hibochan さん
数年前までは行動半径も広かったのですが、
今は葉山に引きこもり状態で何時も変わり映えしない風景ばかりです。
来年も宜しくお願いします。
Commented by とんぼ at 2017-12-31 11:55 x
今年も素晴らしい写真をたくさん見せていただきありがとうございました。

 良いお年をお迎えください。
 来年もよろしくお願いします。
Commented by dojyou38 at 2018-01-01 12:28
とんぼ さん
明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。


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