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2011年 05月 26日 ( 1 )


2011年 05月 26日

秀吉の水攻め(備中高松城址) 5月6日

大河ドラマで秀吉が取り上げられると、
必ず本能寺の変に伴う秀吉の備中高松からの大返しが取り上げられます。
その舞台となった毛利方の「備中高松城」が吉備津神社の直ぐ近くだったので寄ってみた。



          備中高松城址
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d0124388_164325.jpg高松城主・清水宗治辞世の歌碑
「浮世をば 今こそ渡れ 武士の 名を高松の 苔に残して」





備中高松城は水面から僅か高さ4mの平城ですが、
当時城の周囲は深田や沼沢に囲まれ、
秀吉軍3万をもってしても落とせなかった難航不落の城であった。 

そこで秀吉は黒田官兵衛の献策により、
3000mに及ぶ堤を築き足守川から水を引き入れ兵糧攻めにした。

その堤は底辺22m、上辺11m、高さ7.3m、長さ3,110m。
これを僅か12日間で完成させ、
188ha の巨大な人工湖で城を孤立させた。

時あたかも 本能寺の変発生。



d0124388_16453192.jpg城址に祀られる清水宗治の首塚

本能寺の変を知った秀吉は
一刻も早く光秀追討のため引き上げなければならなかった。

秀吉は本能寺の事変を硬く秘めて、
「今日中に和を結べば 毛利の領土は保全、
宗治の首級だけで城兵の命は保証」の条件を出した。

宗治は主家・毛利の安泰と部下5千の命が助かるならと、
辞世を詠んで自刃した。




           城址に掲げられている水攻め音頭の歌詞
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        「水攻音頭」と言うから水攻の築堤した時の仕事唄か、水攻めをして勝った秀吉を称える唄かと思ったが、違うのですね。
        必死で主家のために尽くし、主家と部下を守るために潔く散った
        武士・清水宗治を称えるものでした。


秀吉の水攻・中国路からの大返しは良く聞くが、どんなにして水攻めをしたのか分からなかったが、
現地に立って城の形状・周辺の地形を見て納得した。


また秀吉が気転より大返しをして、明智光秀を追討し天下を取った話は賑やかだ。
一方 毛利方の武将・清水宗治のことなど、ドラマを見ても記憶に残っていない。
だが現地に行ってみると宗治の首塚が篤く祀られ、彼を称える音頭までありました。

ここでも、現地に行かねば知りえない新しい発見があり旅行を楽しくしてくれました。
今夜は福山に泊まり、明日は鞆の浦広島を観光してから帰宅する予定です。

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by dojyou38 | 2011-05-26 18:13 | 旅行 | Comments(8)