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2011年 05月 28日 ( 1 )


2011年 05月 28日

日東第一形勝:鞆の浦 (5月7日)

鞆の浦、福山市にある景勝地で西隣は尾道です。ここに寄りたいと思った理由は3つある。

まず中学卒業の春休み、尾道博覧会を見るため対岸愛媛から漁船で来た記憶がある。
次にドラマで海援隊が起こした海上事故を龍馬が大藩・紀州相手に国際法により談判したところ。
あと一つはこの町は古く道が狭いので開発を巡って20年以上紛争・協議が続いている こと。

こんな記憶があったので、機会があれば是非訪ねて見たかった。


            鞆の浦港全景
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d0124388_15203520.jpg鞆のシンボル 「石造常夜灯」

鞆は瀬戸内海の潮待ち港として栄えたが、
変貌をする日本の都市の中で、
自然景観と歴史的環境を色濃く残している。

現在の人口は5000人弱だが、
昔から観音信仰の盛んな土地で
 お寺は20もあるそうです。








d0124388_15371586.jpg渡船のりばから見た 福禅寺対潮楼
          (崖に突き出た建物)

平安時代創建と伝えられる真言宗の寺だが、
江戸時代は朝鮮通信史の接待所となっていた。
当時はこの崖下まで波が打ち寄せていたのだろう。

幕末、海援隊の「いろは丸と紀州藩の船が衝突。
この事故処理を巡って龍馬は大藩相手に「万国公法
を持ち出して一歩も引かなかった。
その交渉場所がこの寺の「対潮楼」です。

しかし、ここでは解決せず場所を自分の根拠地・長崎に
移し交渉・目的を果たし賠償金を得た。



d0124388_16303669.jpg対潮楼から仙酔島・辨天島を望む

1711年朝鮮通信史・李邦彦はこの景色を
「日東第一形勝(日の昇る東の国で一番の景色)」
と絶唱しているが、私のカメラでは何とも・・・

1748年の通信史・洪啓禧がこの客殿を
 対潮楼と命名している。










d0124388_17104228.jpg幹線道路・県道47号線

これが鞆の市街地を福山方面から松永・尾道に抜ける幹線道路。
私は朝早く鞆の街に入ったが、それでも車の離合は至難の業。
一方通行にすればと思うのですが、出来ない事情があるようだ。

でも地元の車は馴れているのか遠くから待機をしたり、
バックをしたりして対応していた。

観光客は大変だ。
私の知人は恐れをなし、
近くまで行って引き返し観光を諦めたそうです。






d0124388_17113540.jpg車道も狭ければ路地も狭い。

潮待ちや漁港として良港なので、
山が海岸まで迫る狭い土地でも賑やかな街に発展したのだろう。

これを解決する為20年以上もまえから、
鞆の浦港に大きな橋を架ける計画があるそうですが、
景観が破壊されると進展しないそうです。

確かに様々な歴史の舞台になった入り江には、
近代的な巨大な橋梁は似合わないのだろう。

歴史的建造物が多いので道路拡幅が出来ないので、
当座の解決策として市内に何箇所か車の退避所を
作ると聞きました。


60年近く前、近所の人たちと小さな漁船を夜の海を走らせて博覧会を見に行って、
鞆にも寄ったことは覚えているが、殆んど記憶に残るものは無かった。

現地に行ってみて、鞆の道路事情の深刻さを垣間見ましたが、架橋案には賛成しかねる。
部外者でありながら、トンネルでショートカットする方法は無いものかと
思いながら広島に向けて車を走らせた。

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by dojyou38 | 2011-05-28 14:52 | 旅行 | Comments(10)