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2017年 10月 12日 ( 1 )


2017年 10月 12日

やぐら・鎌倉時代の墳墓遺跡について


まんだら堂やぐら群(名越)
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上の写真の要塞のように見える岩窟は何だと思われますか。
鎌倉時代の墳墓遺跡で南関東以外にはないそうです。

先日、鎌倉アルプスと呼ばれている天園ハイキングコースを
歩きましたが、そのコース沿いでこのような遺跡を
幾つも目にしました。

鎌倉では通常「やぐら」と呼んでいます。鎌倉時代に
作られたもので入口には立派な扉もあったようですが
幕府が鎌倉から京都に移って以降、
墳墓は寂びれ朽ち果てていたようです。

江戸時代、山に入った人が門扉の崩れた岩窟を見て、
武具の倉庫「矢蔵」か戦火から家財を守るための「屋敷蔵」と勘違いして「やぐら」と呼んだそうです。

そもそも、このような墳墓が何故作られたか。
治承4(1180)年 鎌倉幕府が開府、三方山に囲まれた狭い鎌倉の地に大勢の人が住むようになった。
そして、有力御家人・有力者が競って豪華な墳墓・法華堂を作ったので、
市中の土地が足らなくなり幕府は市中に墳墓造成の禁止令を出したそうです。

そのため、このような山際に岩窟を穿ち立派な門扉を設け墳墓としたようです。
その後、元弘3(1333)年 鎌倉幕府が滅亡し幕府が京都に移ってからは墳墓が放置されたようです。
鎌倉周辺の山は柔らかい凝灰岩で掘削するのは容易だが、
逆にメンテナンスを怠ると容易に崩壊してご覧のような姿になってしまいます。

鎌倉地区にはこのような「やぐら」が約200群2~3窟あると言われている。
鎌倉周辺以外にも鎌倉幕府御家人の支配地・千葉県など南関東に残っているそうです。

大平山やぐら群
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by dojyou38 | 2017-10-12 20:34 | 家族 | Comments(10)