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2017年 11月 30日 ( 1 )


2017年 11月 30日

箱根旧街道

時刻は10時を廻り暖かくなりました。
鎌倉古道は上二子山の麓を木漏れ日を踏んで廻ると「お玉ヶ池」に出ました。
池を回ると県道732号(旧東海道)に繋がり、古道はここで尽きるようです。

箱根には上と下の二つの二子山があり、
上二子山(1099m)には自衛隊の重要なレーダーサイトがあるので登山が出来ないそうです。

          旧東海道から「お玉ヶ池」越えに色付き始めた下二子山を見る。
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この池の元の名は吾妻池と呼ばれていたが、
若い娘・玉が近くで処刑された悲しい歴史を
伝えるため「お玉ヶ池」と呼ばれるようになった。

玉は江戸の奉公先から逃げ出し伊豆の実家に
帰る途中だったが手形を持たなかったため
関所破りとして処刑された。

江戸時代は「入り鉄砲に出女」と云われ、
江戸から下る女を特に厳しく取り締まっていた。

お玉ヶ池を廻って暫くのところに、
石畳の箱根旧街道の入り口がありました。
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箱根旧街道は江戸時代の初めに整備されたが、
最初は箱根に群生する「ハコネダケ」という
細い竹を敷き詰めていたそうです。

その後延宝8(1680)年石畳に改良され、
更に文久2(1863)年将軍家茂の上洛に
合わせて全面的に改修されたそうです。

石畳を30分ばかり歩いたところ、
旧東海道と交わるところに、
茅葺の甘酒茶屋がありました。




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甘酒茶屋は江戸時代は箱根地区に
9軒もあったが、車が主流となり
多くが廃業して現在はこの1軒が残る。

「忠臣蔵」で神崎与五郎が詫証文を
書かされる舞台となったのが
この甘酒茶屋だそうです。

私達もここで甘酒を飲み、庭先を借りて昼食。
私はここでギンナンも焼酎の肴に買いました。

昼食後、元箱根に引き返し最初にお見せした
富士山の絶景に出会うことが出来ました。



               元箱根から見上げた駒ヶ岳(1356m)
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鎌倉に幕府が出来て鎌倉古道が官道として開設されて以降、
東海道は日本の重要幹線として整備改修を繰り返されたようです。
その中で箱根は「天下の険」と云われるほどの難路であったが、
江戸開幕以降はますます重要度が増す一方、江戸にとっての要害の地でもありました。

明治以降も重要度は更に増し、土木技術の進歩もあってルートは鎌倉古道から
箱根旧街道→旧東海道(現・県道732号)→旧国道1号→新国道1号(箱根新道)へと
何度も変更されています。

やがてルートは箱根をはずれ、東名高速から新東名高速への変遷に繋がっています。




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by dojyou38 | 2017-11-30 09:15 | アウトドアー | Comments(10)