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2017年 03月 31日

季節はずれの雪に見舞われ2泊3日の伊豆周遊(3)  3月27日

                   下田街道(国道414号)川津のループ橋(先頭の青いバスは警察車両)
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d0124388_14442155.jpg2日目 曇り勝ちながら雨は降っていません。

今日は下田観光、下田街道の途中には修善寺物語
伊豆の踊り子の舞台となった名所旧跡がありますが、
前回見物済みなのでパスしひたすら下田を目指す。

9:20 ホテルスタート、下田までは約55km。
途中一部高速道もあるので90分もあれば十分の距離。
しかし、着いたのは12時を過ぎていました。

途中、道の駅でトイレ休憩している間に警察車両(バス)
が追い越しました。そのバスが制限速度40kmを
25kmほどでのろのろ運転。 いらいらしながらも
追い越すことも出来ず到着が1時間以上遅れる。


数日前から天皇皇后両陛下が下田須崎の御用邸に御静養に来られていて、
今日の午後下田駅からお召し列車で帰られる。 そのための警備要員を搬送するためのバスでした。

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d0124388_17383649.jpg下田は江戸時代より江戸~大阪航路の風待ち
港として温泉地として栄えていたが、私達の記憶では
何と言っても幕末の日米和親条約による開港地で
アメリカ領事と唐人お吉」の舞台としてだろう。

私達が訪ねた日は「唐人お吉」で有名な「斎藤きち」の
命日で、お墓がある宝福寺では「お吉まつり 墓前法要」
が行われていて墓前には「唐人お吉」を演じた役者や
歌手の花輪が所狭しと並んでいました。

下田検番の芸者さんも多数参列し、法要の後で
踊りや歌謡を披露して悲劇の生涯を送った
お吉の命日に毎年偲んでいるそうです。



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この宝福寺は当時下田仮奉行所として、
アメリカやロシアとの和親条約準備のための
日本側役人の協議の舞台でした。


坂本竜馬の像が建っていますが、
土佐藩主山内容堂が奉行所として使われていた
当寺にたまたま滞在している時に勝海舟
仲介により竜馬は脱藩の罪が許され、
ここから飛躍的な活躍が始ったそうです。





d0124388_2221036.jpgこのなまこ塀の民家は安直楼と言います。
明治15年より2年間「お吉」が営業していた料亭、
その後寿司店として使われていたが、現在は
下田市が史跡として公開している。

お吉は下田一の人気芸者だったが、病気になった
ハリスの看護を時の役人の執拗な要請で3ヶ月間
看護しただけだったが、外国人の妾になったと
今では考えられない差別を受けアルコール依存症に
なり料亭も僅か2年で止め、その後投身自殺。

差別されていたお吉の遺体を引き取り弔う者がない
なか宝福寺の住職が哀れに思い弔ったそうです。
明治になっても地方では攘夷思想が根強く
残っていた証しの一つでしょう。


                  ペリーロード(かっての花柳街) 
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d0124388_8485829.jpg下田は江戸から明治に掛けて、東西海運の風待ち港として
大いに栄え「伊豆の下田に長居はおよし
     縞の財布が空になる
」(下田節)と唄われた。

華やかだった弥治川沿いの花柳街は今も飲食街ですが、
黒船を率いて来航した提督の名を冠しペリーロード呼んでいる。

この川沿いにはアメリカやロシアと和親条約を締結した
了仙寺や長楽寺なども並んでいます。

このように日本の夜明け前後の景色を色濃く残す街で
吉田松陰が黒船で密航を企て捉えられたのも下田でした。

まだまだたくさんの見所がある下田でしたが、
警察車両のため1時間以上到着が遅れた上に、
午後から冷たい小雨も降ってきたので早めに切り上げました。

帰りは石廊崎などを見物する予定だったが、これも省略。
ただ、海岸沿いの道路から見る景色は風浪が造形したのか
奇岩怪石 松島を思わせる素晴らしい景色も広がっていました。

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西伊豆海岸を北に向かって進むにつれ、
天候も回復し夕焼けに輝く冨士山も美しい姿を見せてくれました。


明日は天城山ハイキングの予定ですが、
明日こそは天気予報どおりの快晴が予感されます。





                        西伊豆海岸から眺めた富士山
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by dojyou38 | 2017-03-31 14:27 | 旅行 | Comments(10)
2017年 03月 29日

季節はずれの雪に見舞われ2泊3日の伊豆周遊(1)3月26日

                  季節はずれの雪に覆われた箱根仙石原
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d0124388_11344482.jpg家族との調整でこの時期に二人で伊豆周遊を決め、
早めにホテルを予約していた。

4~5日前までは好天が予想されていたが、
その日が迫るにつれ雲行きが怪しくなってきた。

出発当日朝、箱根は前夜に雪が降ったことを知る。
でも、3月末の雪は大したことはないと判断し
マイカーをスタートさせました。

宿泊は伊豆長岡温泉ですが、途中 箱根湿生花園の
ミズバショウを見ていこうと国道1号から
仙石原方面に入ると前から来る車が雪を被っている。

路肩の雪は進むにつれて多くなります。


d0124388_1529334.jpg11:50 湿生花園に着きましたが、『積雪のため閉園』
という告知板とともに『午後から開園』の告知板が
ありましたので近くで昼食をして再訪しました。

しかし『午後から開園』の告知板が外されていました。
残念ながらミズバショウを諦め長岡に直行することに。

仙石原から長岡へは芦ノ湖スカイラインが近道。
ゲートに向う途中は1枚目の写真のような雪景色。

標高1000mのスカイラインの通行止めを心配しながら
ゲートにいくと、御殿場方面は閉鎖だが三島方面は
今除雪が終わり通れるようになったとのこと。




                         スカイラインからの芦ノ湖(静かなモノトーンの世界ですが漁する船が出ています)
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d0124388_1631131.jpg芦ノ湖スカイラインは湖の北端から南端まで
標高1000m近いところを約12kmの長さです。

乗り入れるとまさに除雪が終わったばかりのようで、
すれ違う車は殆どありません。

スカイライン両側は樹氷の壁で、
私には登山の時にしか見られない景色を楽しみながら
順調に国道1号へとドライブしました。

道路わきのパーキングには除雪作業を終えたばかりの
スクレーパーを作業員が掃除していました。

   
     つ づ く




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by dojyou38 | 2017-03-29 10:58 | 旅行 | Comments(6)
2016年 11月 30日

昇仙峡

                          昇仙峡「覚円峰(左)と めまい岩・天狗岩(右)」
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                                              水しぶきが虹色に輝く仙蛾滝
d0124388_14571819.jpg2日目、昨日より多少暖かく感じますが、
甲府市内は霧に覆われて陽射が無く寒いです。
8時前ホテルを出て大菩薩峠に向いました。

途中、弁当を調達する前に大菩薩峠の山小屋「介山荘」に
連絡し、登山口までの道路の状況を尋ねました。
国道から上日川登山口までの林道積雪25cm。
現在除雪作業中だがスノータイヤでないと無理とのこと。

私の車は4WDなのでスノータイヤでなくても何とかなると
思いましたが、林道よりも山はもっと雪が深い
可能性があり、初めての山を雪の中歩くのは
危険と判断し大菩薩嶺登山を諦めました。

葉山を出る前日、54年振りの早い積雪があったが、
天気予報ではその後2日間晴天が続くので
何とか登山は可能と判断して出てきたが甘かった。

林道は冬期閉鎖と聞いていたがので問い合わせると
通常12月中旬だとの回答だったので、雪も直ぐ解けると
判断したが、考えてみると登山口でも標高1700m。
九州の山と同じに考えたのは非常識でした。

大菩薩峠を諦め急遽「昇仙峡」観光に変更しました。

                                         
d0124388_221118.jpg昇仙峡、地名だけは知っていたが初めてです。
大菩薩への途中で引き返したので9時前に
昇仙峡観光の入口・長潭橋に着きました。

昇仙峡観光する予定でなかったので、
どのように行動すればよいか見当つきません。

うろうろしていると親切な地元の方が、
渓谷沿いの道をドライブして上流の無料駐車場
に車を止めて観光するのがよいと教えてくた。

その渓谷沿いの道は「後5分、9時から進入禁止
になる、早く急ぎなさい」と言われ、
何とか間に合ってゆったりと渓谷を眺めながら
グリーンライン駐車場へ向いました。
9時以降は渓谷沿いではなくバイパスを通おる。

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d0124388_10212638.jpg駐車場からは乗合いタクシーでロープウエイへ。

朝早かったので待つことも無く、ゴンドラも空いて
周りの景色をゆったり楽しめましたが、
下山の頃のゴンドラはすし詰め状態でした。

ロープウエイから見る周りの樹木は樹氷状態で、
展望台の売店の方も50年以上商売しているが 
11月に雪が降ったのは初めてと戸惑っていた。








d0124388_1183887.jpgロープウエイから見下ろす
昇仙峡上流の荒川ダム(能泉湖)は多目的の
ロックフィルダムでサクラの名所だそうです。

展望台から見下ろす甲府の街は厚い霧に覆われ
雲海の中に沈み何も見えませんでした。

その雲海のおくには御坂山地が横たわり、
富士山は山地や雲海を睥睨するように聳え
朝日に輝いていました。




甲府の街を覆い隠す雲海と富士山 ↓

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d0124388_23183662.jpg昇仙峡は奇岩怪石と紅葉の景勝地として
古くから全国的に有名で名前の由来は、
「渓谷の美しさが千岳に昇る想い」から
名付けられたそうです。

駐車場や休憩所の周辺には店舗が
立ち並んでいますが、その殆どは水晶・宝石店と
名物の「ほうとう」を出す飲食店です。

両方扱う店もあり宝石屋さんか食堂かどちらが
本業か分らないような店もありました。

私たちの昼食も「ほうとう」↓ にしましたが、
初めてだったのでその美味しさが良く分らなかった。


d0124388_11583314.jpg巨大な花崗岩に囲まれた「石 門」 ↑
 先端が僅かに離れている。

昇仙峡の見所は長潭橋から荒川ダムまで
約5kmもあります。
観光の仕方も幾つもあるので事前の予備知識が
必要ですが今回はぶっつけ本番。

予備知識無しに訪ねたので見落としたところも
たくさんあるようでした。
機会があれば紅葉のピーク時に改めて訪ねたい。









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by dojyou38 | 2016-11-30 16:49 | 旅行 | Comments(14)
2016年 11月 28日

信玄の国・甲州へ(2)

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d0124388_15563257.jpg  JR塩山駅前の信玄像 ↑ 

大菩薩峠をトレッキングするために甲府に宿を取り、
初めて甲府に入る以上やはり信玄公に挨拶
すべきと、信玄所縁の地を何箇所か訪ねました。

甲府周辺には土産物など信玄の名前が溢れて、
信玄の国だな~を実感しました。

でも大河ドラマ・風林火山の放映していた頃の
華やかさ・活気はありませんでした。
 (その頃のことは知りませんが・・・)

甲府駅南口の信玄像 →



d0124388_9405146.jpg甲府駅で信玄の出迎えを受けた後、
信玄公を祀る武田神社に参詣。

神社は大正8(1919)年創建され、国定史跡に
なっている信玄の居城「躑躅ヶ崎館跡」に
鎮座していて、参道は大手門 のようでした。
 (実際の大手門跡は別のところです)

七五三参りの家族連れでそれなりに賑わっていま
したが観光客が押し寄せる状況では有りません。

風林火山放映の頃はさぞかし賑わっていたと、
周りの状況から忍ばれました。




d0124388_1214930.jpg1枚目の写真はJR塩山駅前の信玄像ですが、
塩山駅の傍に『甘草屋敷』として有名な
重文の旧高野家住宅があり見学しました。→

そこに何故か「盾無鎧」(レプリカ)が飾られていた。

盾無鎧は武田氏の神器のようなもので源義家が
天皇より賜り、代々受け継がれ源氏から分かれた
甲斐源氏・武田氏に伝えられたもの。

盾が無くても矢も鑓も通さない頑丈な鎧
と言う事で、「盾無鎧」と言われている。
ドラマでも何度か戦いの場で「御旗・盾無」が
唱えられたシーンがあったと記憶している。



d0124388_114134.jpg武田神社の宝物館でも「盾無鎧」がありませんでした。

聞くと市内にある別の神社「菅田天神社」にあるというので
出掛けましたが、菅田神社の境内に新羅宮と言う堅固な
小社が有り、そこに納められていているようでした。

そして説明は殆どなく「盾無鎧」は見世物ではないぞと
言われているようでした。
新羅宮は盾無鎧を武田氏にもたらした
祖先源(新羅三郎)義光を祀っているのでしょう。


その外、信玄火葬塚(最初のお墓)などを廻りましたが、
甲府周辺には信玄袋・信玄餅の他プリン・ラーメン・
温泉・飲食店などなど信玄が溢れていました。

それだけ信玄様が400余年を経てもなお甲府・山梨の人たちに
愛され尊敬されていることは信玄が天下に覇を唱えるだけ
でなく、領民の安寧に腐心したことを証明しているようでした。


昼食は甲府名物・鳥もつ煮とソバ、
夜は温泉と甲州ワインなどで1日が終わりました。

ホテルの窓からは夕日に輝く富士。
明日の大菩薩峠トレッキングは好天が約束されいます。
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by dojyou38 | 2016-11-28 13:37 | 旅行 | Comments(16)
2016年 11月 26日

信玄の国・甲州へ(1)

                        江ノ島付近から朝日に輝く富士山
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d0124388_1005340.jpg先月から中里介山の『大菩薩峠』を読んでいます。
「大菩薩峠」は文庫本20冊の未完の超長編小説。

昭和56年刊なので字が小さい上に
1冊400pもあり、まだ3冊目ですが
その舞台・大菩薩峠 を歩いてみたくなりました。

大菩薩峠が小説「大菩薩峠」の舞台と言っても、
小説に出てくるのは、私が読んだ範囲では1冊目の
話がスタートする場面で、後は殆ど出てきません。


圏央道の真向かいに現れた富士山 →




d0124388_19571288.jpg大菩薩峠に向うためにホテルなど予約していたが、
前日季節はずれの大雪。
雪は1日で止み、翌日からは好天の予報。

雪は1日で消えるだろうと予測して連合いと2人で
マイカーで出掛けたが、 通行止めではないが
道路沿いはブリリアントな初雪風景。

富士山もバッチリの雪化粧で私たちの
大菩薩峠行きを歓迎しているようでした。
談合坂SAでは外国人など大勢の観光客が
スノウパウダーに大はしゃぎしていましたが、
私は2000mの大菩薩は?ちょっと心配になる。

← SAでスノウパウダーに戯れる観光客


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このような景色・紅葉と雪のコラボレーションを楽しみながら甲府に向いました。
甲府に1泊して翌日大菩薩峠を歩く予定、それまでには雪も解けるだろう。
山梨県へは富士山登山や信州に向う途中、何度も訪れていますが、甲府など中心部は初めてです。

山梨・甲府を訪れるには先ず信玄公に挨拶が必要だろうと、今日は信玄所縁の地を廻ることにしました。
 
                           つづく

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by dojyou38 | 2016-11-26 22:24 | 旅行 | Comments(8)
2016年 10月 21日

ヴェネチアン・グラス展

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d0124388_11222822.jpg箱根に泊まった翌日は朝から雨。
芦ノ湖周辺を観光する予定であったが取り止め。

昨日 寄ろうとして駐車場が満杯だった
「箱根ガラスの森美術館」に直行することに。

今年は日本イタリア国交樹立150年記念で、
「ヴェネチアン・グラス展」が開かれていることを
連合いは知っていて、以前本場で見ていたので、
見たかったようです。

9時過ゆたり観賞できるだろうと思っていたが、
平日にも拘らず大勢の団体などで賑わっていた。




d0124388_11522474.jpgガラスの森 美術館を訪ねるのは初めてですが、
国道134号沿いの箱根 仙石原にあります。

緑に囲まれた美術館ですが、
庭園に入るとクリスタルガラスのオブジェで
全体に飾られ、未来の公園のようです。

庭園から光の回廊「コッリドイヨ」を渡って
美術館に入ります。

館内には16世紀から現代に至る
ヴェネチアングラスの至宝が所狭しと展示され、
これがガラスで出来ているの!
こんなものがガラスでと驚くばかりでした。



d0124388_13572476.jpg展示品に囲まれたホールでは
国際的バイオリニスト・アルベルト・デ・イイスによる
ミニコンサートが開かれ展覧会を盛り上げていました。



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                            展示品の中から

金や銅で着色した赤いグラス                              蓋付きゴブレット(1500年頃)
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タンゴ                                           風にそよぐグラス
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グラス・ゴブレット(1880年)                          人物行列文壺(1500年)
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レストラン「カンツォーネ」 

d0124388_22414482.jpg     今日のカプチーノ
d0124388_2243196.jpg昼食を美術館内のレストラン「カンツォーネ」で
しましたが、此処では陽気なイタリア人のよる
カンツォーネを聞きながらパスタを頂きました。

連れ合いに付き合っただけでしたが、
アウトドアー派の私にとっては
久し振りに優雅な1日でした。


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by dojyou38 | 2016-10-21 10:52 | 旅行 | Comments(10)
2016年 09月 03日

2ヶ月ぶりの小旅行・信州へ( その3: 8月30日 上田 )

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d0124388_23355917.jpg松代を観光した後、高速道路で上田に向いました。
上田ICでも六文銭と眞田丸の幟の出迎えです。

赤い幟の案内で上田城に向いましたが、その前に
真田幸村像に会うためJR上田駅に立ち寄る。

駅舎の壁面には大きな六文銭、
駅前広場には眞田幸村の騎乗姿の像。
真田一色の上田の街です。

上田の人々の真田への憧れ・真田愛の大変さが
伺えますが、上田が真田発祥の地とは言え、
真田が上田を治めたのは僅か40年。

その後250年間は千石氏から松平氏に
藩主が代わり明治維新を迎えている。

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d0124388_1032781.jpg上田城にしても現在の地に幸村の父・昌幸に
よって築造されたが、昌幸・幸村親子が
西軍に付き破れたため、掘りも含め破却された。

徳川の時代になり東軍に付いた信之が
上田藩主になったが、、上田でなく沼田城を
本城として藩を統治し、1622年松代に転封。

現在の城はその後入城した千石氏によって
築城されたが、明治の廃城になり櫓などが
他の場所に移築されていた。

現在の櫓門などは昭和~平成期になり
復元されたものだそうです。


このように上田は真田氏の発祥の地ではあるが、
真田氏が去って290年間も真田氏と関係ない千石氏・松平氏が統治したのもかかわらず、
未だに上田では僅か40年間城主だった真田氏の人気が抜群なのは何故だろうか。

これは僅か10年ほどしか統治しなかった加藤清正が、
その後230年間も城主だった細川氏を差し置いて絶対的な人気を誇る肥後・熊本藩に良く似ているな~と思いました。

それは創業藩主が特段の善政を敷いたとか、
後を継いだ大名家に失政があったとかは関係かないように思いました。
ただ単に、幸村を初めとする真田氏や加藤清正が江戸~明治期にかけて講談などで英雄視され、
それを其々の地域が観光宣伝にうまく利用しているだけではないだろうか。

それはそれで地域興しになって良いとおもうが、後を継いだ松平氏や細川氏の関係者はどんな気分なのだろうか。
そんなことを想像しながら上田の観光を終え、
明日の『美ヶ原ハイキング』の好天を願いながら諏訪の保養所に帰りました。

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by dojyou38 | 2016-09-03 18:53 | 旅行 | Comments(10)
2016年 09月 01日

2ヶ月ぶりの小旅行・信州へ(その2・8月30日 松代)

d0124388_10424134.jpg予想したとおり朝から雨。
天気さえ良ければ今日 美ヶ原を歩きたかった。
止むを得ず9時前、保養所を出て松代に向う。

信州は登山などで何度も訪れていたが、
松代・上田は観光したことがなかったので、
大河ドラマファンでないがハイキングの
前後に観光することにしていた。

松代という地名は良く聞くが、長野市の一部で、
真田幸村の兄・信之を藩祖とする10万石の
城下町とは知りませんでした。

長野IC手前松代PAにトイレ休憩すると、
もうここから真田の六文銭の出迎えです。

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d0124388_1231186.jpg更に長野ICを出ると道沿は六文銭幟が溢れ、
自然と松代城址へと案内してくれました。
松代城は海津城と云われ、武田信玄の
上杉謙信への備えで川中島合戦の拠点だった。

徳川時代になり待城と呼び名が変り、
松平忠輝などを経て名前も松城と変更、
1622年真田信之が13万石の城主として入城。

更に幕府の命で松代と改められたそうです。
その後、10代に渡り真田氏が続き明治を迎えた。
(3代のとき相続で沼田藩が独立10万石に)

城址は明治の廃城で天守閣などはなく、
大手門など一部が復元されていた。


d0124388_14383427.jpgd0124388_1439367.jpg















城址の一郭に真田邸と呼ばれる江戸末期の建物がありました。
これは元「新御殿」で、9代藩主が母のために建てた隠居所だそうです。
そこは「眞田大博覧会」の会場の一つとして大河ドラマにあやかって、真田氏・松代藩の歴史などを展示していました。
真田大博覧会は他にも真田氏ゆかりの史跡や市内の物産館なども会場になっていましたが、
それは上田でも同じことで、上田市内にも何箇所もありました。


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d0124388_15243290.jpg歩いて廻れば真田藩関連の史跡はまだまだ
あるのですが雨の中の観光を切り上げ、
城址の近くにある「松代象山地下壕」を見学。

戦争末期に作られた松代大本営地下壕のことは
何かの記事で読んだことがあった。三箇所あり、
一つは気象庁地震観測所として使われている。

私が見たのは象山に掘られたもので、上の説明書
にあるように延長5853mの内見学できる500m。

何にも使われてなく無料で見学できますが、
そこに至る道路は細く乗用車がやっと。
駐車場もなく、粗末な管理小屋に2人の管理人。
(私は隣接の民地に頼み込んで駐車できました)


d0124388_23381451.jpg ↑ 地下壕出入り口
(他にもう1箇所あるが現在使われていない。)

500mしか見ていませんが、地盤・地質が
しっかりしているのか漏水は皆無のようでした。

ここから掘り出された土砂(岩石)約6万㎥は
炭鉱のボタ山のように積まれていたが、
戦後 東京まではるばる貨車で運ばれて
復興工事に使われたそうです。

現在 長野市観光振興課が管理しているが、
戦争の負の遺産と言うことなのか、
宣伝も控えめで観光スポットとして
あまり力を入れてないように感じました。


これで松代の観光を切り上げたが、昼食をしているうちに雨が小降りになった。
諏訪に帰るにはまだ多少余裕があるので上田に廻ることにした。(上田観光はページを改めます)

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by dojyou38 | 2016-09-01 20:57 | 旅行 | Comments(8)
2016年 09月 01日

2ヶ月ぶりの小旅行・信州へ(その1・8月29日)

d0124388_1138243.jpg福岡の時は連れ合いも月に1度くらいは
低山ハイキングをしていたが、
葉山に来てからは殆ど機会がない。

普段足慣しをしていない彼女にも歩ける
近場のコースをあまり知らないが、
美ヶ原ならOKだろうと行き先を決めた。

そして次男の勤め先の諏訪湖畔の保養所を
今月初め2連泊の予約、天気の良い日に
ハイキング、天気悪い日は観光することに。
出発が近づくと大型台風接近。

29日朝7時湘南海岸経由で上田に向ったが、
雲低く垂れ込めた海岸に台風余波の大浪を
求めて多くのサーファーが繰り出していました。

d0124388_13312434.jpg信州は何度も旅行しているので、今回は
ハイキングメインで、雨の場合は『眞田丸』で
賑っている上田・松代観光と予定していた。

台風接近で信州の天気予報も目まぐるしく変る。
今日明日は雨模様なので2日間は上田・松代、
3日目に美ヶ原ハイキングと決めて出発。

茅ヶ崎から圏央道を経由して
中央道を上田を目指してドライブしていると、
富岡IC の標識が目に留まる。

「富岡といえば世界遺産に登録された
富岡製糸場』ある富岡じゃないの」と言う。
だったら見ていこうと言うことになった。


d0124388_1754475.jpg行き先を上田から富岡に決めたのは富岡IC への
分岐が始ってから。急遽左にハンドルを切る。

前知識無しに市内に入ったので、
無料駐車場への案内に従って車を止める。
小雨も中歩き出すも製糸場までは1,5kmも。

製糸場近くにも有料Pがあり、舗装道路を
歩くのが苦手の連れ合いからクレーム散々。

建物は基礎・砂岩、構造・木骨レンガ造り、
小屋組み・木製トラスで設計技術はフランス人
によるものだが、主要建材は富岡近くで調達し
日本人大工・職人によって建てられていた。



d0124388_15124547.jpg  ↑ 東置繭所(ひがしおきまゆじょ)2階

建設されたのは明治5~6年、操業停止したのが昭和62年。
建築当時の姿で115年間操業続けられたことは稀有なこと。

世界遺産にしては少しスケールが小さいように感じたが、
建築後145年も経た現在びくともせず素晴らしい
保存状態が保たれていることに大変驚きました。

当時のフランス人の設計技術の高さと日本人大工・職人の
技と生真面目さを垣間見る思いをしました。

最近良く耳にする設計偽装・工事データの改竄・手抜き工事は
この当時はなかったことを物語っているように思いました。

ただ残念だったのは、見学できたのは工場全体の半分程度で、
現在修復中だったり、未公開部分が多かったことです。



 ← 世界文化遺産認定書




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d0124388_2120462.jpg製糸場を見学して、昼食を済ませた頃には
雨も上がってきましたが上田に行く時間はない。
直接、上諏訪温泉の保養所に直行することにした。

諏訪へは高速ではなく一般国道を通りましたが、
下仁田では九州で目にしない下仁田ネギ
コンニャク畑を眺めながらドライブしました。

稲田の穂は頭を垂れるほど実っていませんが、
道路際にはコスモスが咲き誇り、ススキの
穂が輝いて秋の到来を演出していました。

佐久から諏訪に至る国道142号は旧中山道と
交錯しているが、和田峠には珍しい交互通行の
信号があるトンネルがありました。

何時の間にか雲が切れ台風前の様相を呈していたのも束の間、
長野県に入り諏訪が近づくと雲が低く垂れ込め明日の天気が心配になってきました。
明日の松代・上田観光は施設見学がメインだが、土砂降りは遠慮願いたい。




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by dojyou38 | 2016-09-01 11:29 | 旅行 | Comments(12)
2016年 06月 07日

『花子とアン』のロケ地・起雲閣(熱海)

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d0124388_1732414.jpg   「玉姫の間」のステンドグラスのサンルーム

NHK朝ドラ『花子とアン』のロケに使われた
元旅館「起雲閣」が熱海にあるというので見学した。

大正・昭和の文豪、山本有三・谷崎潤一郎・
志賀直哉・尾崎紅葉・太宰治・三島由紀夫・
船橋聖一などが起雲閣を定宿として、ここから
数々の名作が生れた旅館として有名です。

起雲閣は初めから旅館ではなく、
大正 8年海運王内田信也 の別邸として建てられ、
大正⒕年鉄道王根津嘉一郎 の別荘となる。



d0124388_18141093.jpg 玉渓の間の暖炉

当時は住友別荘・岩崎(三菱)別荘と共に熱海の
三大別荘と賞賛されていたそうです。

昭和22年その名邸が石川県の実業家で政治家の
桜井兵五郎により旅館起雲閣として生まれ変わり、
熱海を代表する旅館として、
名だたる多くの文豪などに愛されるようになる。

敷地は3千坪、中心に千坪の回遊式庭園があり、
庭園の周りに本館・別館・離れなどが並び
連なって、市街地とは思えない静けさがあります。



d0124388_1029236.jpg
多数の名だたる文豪に愛された起雲閣ですが、
それぞれお気に入りの部屋があったようです。

ガイドから、この部屋は「人間失格」が執筆された
部屋、「金色夜叉」が生れたのはこの部屋などと
説明されました。

3人の大富豪によって贅を尽くして増改築されて、
別荘から人気の旅館になっていたが、
平成11年、その旅館が競売されることになる。

平成12年、熱海の文化財として熱海市が落札。




d0124388_10222267.jpg熱海市の所有になった起雲閣は
観光資源としてだけでなく、文化施設として
市民の様々な展示会・発表会などの
イベント会場として利用されている。

平成26年にはNHKの朝ドラ『花子とアン』で
九州の炭鉱王・嘉納伝助の邸宅のロケに
使われました。

其々の部屋は贅を尽くした内外装とデザイン。
迷路のように廊下で繋がった部屋を見学しながら
当時の大富豪の別荘の凄さに驚きました。

広大な名邸宅の優雅さ美しさは私のブログでは
伝え切れません。興味ある方は「起雲閣」の
HPをご覧下さい。

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by dojyou38 | 2016-06-07 22:57 | 旅行 | Comments(10)