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2011年 05月 29日

広  島 (5月7日)

今回の旅行の最後の訪問地は広島です。
広島は現役時代 何度と無く来ているが観光する余裕は無かった。
今回の目的は何十年か前に訪れたことがある原爆ドームと平和資料館の再訪である。

          原爆ドーム
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          ドームの前でボランティアガイドの説明を受ける観光客。ガイドは認定被爆2世です。


d0124388_15421836.jpgガイドと爆心地モニュメント

ドームの前で被爆の説明を聞いていたが、
ここが爆心地かと聞くと別のところと言う。
200mほど離れた爆心地にわざわざ案内してくれた。

そこには当時 島病院が在ったと言う。
現在も島外科医院と名前を変えて開院しており、
その外壁に面して爆心地にモニュメントがあった。








d0124388_1732412.jpg広島平和記念資料館
 (写真 パンフレットより)










d0124388_17201199.jpg被爆直後の広島中心部

資料館に展示されているジオラマ、
説明の要らない風景です。













d0124388_1732229.jpg資料館に集められた被爆した仏像たち

被爆地にもたくさんの寺院が在ったのでしょう。

寺院の頑丈な屋根、厚い壁の奥に祀られていた
仏様たちですら このように傷つき、
中には鋳潰されてしまったように壊された仏様、
原爆熱線が如何に強烈であったかを垣間見ました。









          平和祈念資料館からドームを望む
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何十年かぶりに原爆ドームや平和祈念資料館を訪ねて、
意外に思ったのは若い人がたくさん熱心に見学していたことです。
それにしても、なぜあの時期にアメリカが原爆を投下・実験しなければならなかったと言う疑問と憤りです。

原爆死者慰霊碑に「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と記されている。
その主語はアメリカでなければならない。
そうであれば、一日も早くアメリカ大統領が広島・長崎を訪問すべきではないだろうか。

GWの旅行最後の旅行地にしては少し重たいところでした。

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by dojyou38 | 2011-05-29 15:04 | 旅行 | Comments(10)
2011年 05月 28日

日東第一形勝:鞆の浦 (5月7日)

鞆の浦、福山市にある景勝地で西隣は尾道です。ここに寄りたいと思った理由は3つある。

まず中学卒業の春休み、尾道博覧会を見るため対岸愛媛から漁船で来た記憶がある。
次にドラマで海援隊が起こした海上事故を龍馬が大藩・紀州相手に国際法により談判したところ。
あと一つはこの町は古く道が狭いので開発を巡って20年以上紛争・協議が続いている こと。

こんな記憶があったので、機会があれば是非訪ねて見たかった。


            鞆の浦港全景
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d0124388_15203520.jpg鞆のシンボル 「石造常夜灯」

鞆は瀬戸内海の潮待ち港として栄えたが、
変貌をする日本の都市の中で、
自然景観と歴史的環境を色濃く残している。

現在の人口は5000人弱だが、
昔から観音信仰の盛んな土地で
 お寺は20もあるそうです。








d0124388_15371586.jpg渡船のりばから見た 福禅寺対潮楼
          (崖に突き出た建物)

平安時代創建と伝えられる真言宗の寺だが、
江戸時代は朝鮮通信史の接待所となっていた。
当時はこの崖下まで波が打ち寄せていたのだろう。

幕末、海援隊の「いろは丸と紀州藩の船が衝突。
この事故処理を巡って龍馬は大藩相手に「万国公法
を持ち出して一歩も引かなかった。
その交渉場所がこの寺の「対潮楼」です。

しかし、ここでは解決せず場所を自分の根拠地・長崎に
移し交渉・目的を果たし賠償金を得た。



d0124388_16303669.jpg対潮楼から仙酔島・辨天島を望む

1711年朝鮮通信史・李邦彦はこの景色を
「日東第一形勝(日の昇る東の国で一番の景色)」
と絶唱しているが、私のカメラでは何とも・・・

1748年の通信史・洪啓禧がこの客殿を
 対潮楼と命名している。










d0124388_17104228.jpg幹線道路・県道47号線

これが鞆の市街地を福山方面から松永・尾道に抜ける幹線道路。
私は朝早く鞆の街に入ったが、それでも車の離合は至難の業。
一方通行にすればと思うのですが、出来ない事情があるようだ。

でも地元の車は馴れているのか遠くから待機をしたり、
バックをしたりして対応していた。

観光客は大変だ。
私の知人は恐れをなし、
近くまで行って引き返し観光を諦めたそうです。






d0124388_17113540.jpg車道も狭ければ路地も狭い。

潮待ちや漁港として良港なので、
山が海岸まで迫る狭い土地でも賑やかな街に発展したのだろう。

これを解決する為20年以上もまえから、
鞆の浦港に大きな橋を架ける計画があるそうですが、
景観が破壊されると進展しないそうです。

確かに様々な歴史の舞台になった入り江には、
近代的な巨大な橋梁は似合わないのだろう。

歴史的建造物が多いので道路拡幅が出来ないので、
当座の解決策として市内に何箇所か車の退避所を
作ると聞きました。


60年近く前、近所の人たちと小さな漁船を夜の海を走らせて博覧会を見に行って、
鞆にも寄ったことは覚えているが、殆んど記憶に残るものは無かった。

現地に行ってみて、鞆の道路事情の深刻さを垣間見ましたが、架橋案には賛成しかねる。
部外者でありながら、トンネルでショートカットする方法は無いものかと
思いながら広島に向けて車を走らせた。

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by dojyou38 | 2011-05-28 14:52 | 旅行 | Comments(10)
2011年 05月 26日

秀吉の水攻め(備中高松城址) 5月6日

大河ドラマで秀吉が取り上げられると、
必ず本能寺の変に伴う秀吉の備中高松からの大返しが取り上げられます。
その舞台となった毛利方の「備中高松城」が吉備津神社の直ぐ近くだったので寄ってみた。



          備中高松城址
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d0124388_164325.jpg高松城主・清水宗治辞世の歌碑
「浮世をば 今こそ渡れ 武士の 名を高松の 苔に残して」





備中高松城は水面から僅か高さ4mの平城ですが、
当時城の周囲は深田や沼沢に囲まれ、
秀吉軍3万をもってしても落とせなかった難航不落の城であった。 

そこで秀吉は黒田官兵衛の献策により、
3000mに及ぶ堤を築き足守川から水を引き入れ兵糧攻めにした。

その堤は底辺22m、上辺11m、高さ7.3m、長さ3,110m。
これを僅か12日間で完成させ、
188ha の巨大な人工湖で城を孤立させた。

時あたかも 本能寺の変発生。



d0124388_16453192.jpg城址に祀られる清水宗治の首塚

本能寺の変を知った秀吉は
一刻も早く光秀追討のため引き上げなければならなかった。

秀吉は本能寺の事変を硬く秘めて、
「今日中に和を結べば 毛利の領土は保全、
宗治の首級だけで城兵の命は保証」の条件を出した。

宗治は主家・毛利の安泰と部下5千の命が助かるならと、
辞世を詠んで自刃した。




           城址に掲げられている水攻め音頭の歌詞
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        「水攻音頭」と言うから水攻の築堤した時の仕事唄か、水攻めをして勝った秀吉を称える唄かと思ったが、違うのですね。
        必死で主家のために尽くし、主家と部下を守るために潔く散った
        武士・清水宗治を称えるものでした。


秀吉の水攻・中国路からの大返しは良く聞くが、どんなにして水攻めをしたのか分からなかったが、
現地に立って城の形状・周辺の地形を見て納得した。


また秀吉が気転より大返しをして、明智光秀を追討し天下を取った話は賑やかだ。
一方 毛利方の武将・清水宗治のことなど、ドラマを見ても記憶に残っていない。
だが現地に行ってみると宗治の首塚が篤く祀られ、彼を称える音頭までありました。

ここでも、現地に行かねば知りえない新しい発見があり旅行を楽しくしてくれました。
今夜は福山に泊まり、明日は鞆の浦広島を観光してから帰宅する予定です。

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by dojyou38 | 2011-05-26 18:13 | 旅行 | Comments(8)
2011年 05月 23日

桃太郎と吉備津神社 5:06(金)

赤穂を後にして、桃太郎伝説が背景と云われる備津神社に向かった。
吉備津彦がこの地で鬼退治をしたから、この辺りをを吉備(備前・備中・備後)というのか、
吉備で活躍した桃太郎を吉備津彦命というのか等と考えながら車を岡山へ走らせた。


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参道前のみやげ物店


さすが大社(官幣中社)だ。
吉備津神社は
備中・岡山市北区中山の麓に鎮座し
吉備津彦命を祭る。
参道前の駐車場に入っただけで境内の広さが分かる。


でも、連休谷間の午後で参拝客はまばらだった。
売店の前には鬼の像が立っていました。






d0124388_2132525.jpgきびだんごは童話・桃太郎の鬼退治を
モチーフにしたもので岡山名物の定番。

むか~し昔 あるところに
お爺さんとお婆さんが住んでいました
ある日 お婆さんが
川で洗濯をしていると川上から大きな桃が・・・

桃太郎さん 桃太郎さん
お腰につけたキビダンゴ一つわたしに
下さいな. やりましょう やりましょう ...


       吉備津神社 境内
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      当地出身の政治家犬養毅は、犬養家の遠祖・犬養健命は大吉備津彦命の随神であったとして
吉備津神社への崇敬の念強く、神池の畔に犬養毅の銅像が建っている。

            本   殿
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     本殿は吉備津神社独特の様式で、棟を上から見るとエの字型、面積はは255㎡あり京都八坂神社に次ぐ大きさ。
     室町時代1425年に再建され、国宝に指定されている。


d0124388_9281391.jpg南随身門から回廊を見る

南随身門(重文)から
各神殿に続く回廊は
地形に沿って、
延々400mの長さがある。








d0124388_1053372.jpg鳴釜神事鬼退治物語に由来し、
江戸時代 上田秋成の雨月物語
取り上げられている怪異小説(吉備津の釜)の
背景にもなっている有名な神事。

是非見たかったのだが、
生憎の定休日(金曜日)だった






            回廊外観と本殿
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            江戸時代以前からある古い神社でこのように神殿と神殿を回廊で結んでいるのは少なく、
            本殿の様式と共に非常にユニークな神社の作りだと思いました。

どのような経緯で古い神社が古事記・日本書紀の記述と結び付けられたのかは知らない。
それが更に伝承の物語なったのは何時ごろからだろうか。
逆に、そのような伝承の物語があったから、古事記や日本書紀の事跡にこじつけたのかもしれない。
こんなことを思いながらの吉備津神社参拝であった。

これから、豊臣秀吉の水攻めで有名な備中高松城址へと車を転がします。

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by dojyou38 | 2011-05-23 17:25 | 旅行 | Comments(10)
2011年 05月 22日

UA(尿酸値)4.2

ゴールデンウイークが終わって1週間した頃、右足親指の間接がズキズキ。
久しぶりに、来たー!と思いました。リタイアーして初めてでした。

私は約30年前に初めて痛風の発作を起こしました。
それ以来ずーと30年間「ユリノーム」を服用してきましたが、
それでも、現役時代は宴席が多く7~8年に一度は発作がありました。

ユリノームを最初の頃は50mgを、リタイアー後は25mg を1日1錠服用。
それで、尿酸値(UA)は基準値内に納まっていたので安心していました。



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今回は 写真のように大して腫上がっているわけではない。
でも痛くて靴が履けず、
スリッパでもびっこを曳く状態。

30年前、最初に発作が出た部分は踝、
捻挫をしたかと思った。

その後の発作は通風の典型的な症状、
親指の第1間接です。



d0124388_9562389.jpg2ヶ月に一度検査を受けているクリニックで
血液検査を受けましたが、
検査表2行目に有るように、
UAは4.2 と基準値内の数値

ドクターも首を傾げながら、
「痛み止め」を処方してくれ、
発作は3日間で殆んど消えました。

30年前発作が出る前からUAは
基準値をオーバーしていましたが、
それでも なかなか発作は出ませんでした。


UAが基準値を十分に下回っているのに、何故発作が出たのだろうか。
医学界で決めている基準値に疑問符が付きます。
歳と共に抵抗力が落ちていくのかとも思っています。

それはそれとして、原因はもっと身近なところに有ったのかも。
普段は焼酎メインの晩酌だが、長男宅にいたGW中は毎晩の
ワイン・ビール・日本酒と美味しい手作り料理で、何時もよりどうしても量が多くなる。

帰路宿泊先での夕食、帰宅後の宴席とカロリーの過剰摂取が続いたことが原因と思っています。
これからは検査の数値に頼らず、カロリー摂取の限度を弁えたいと反省しています。

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by dojyou38 | 2011-05-22 20:26 | 家族 | Comments(14)
2011年 05月 20日

堀部 安兵衛  (5:06)

前日 姫路に泊まり、今日は忠臣蔵の赤穂を訪ねました。
大石神社にお参りして、復元された赤穂城・本丸門を見物しました。



          国史跡・赤穂城址 本丸門
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赤穂城は全国の多くの城と同じように、明治の廃藩置県で城郭建物は取り壊されていたが、
昭和46年国指定の史跡・名勝に指定されている。
理由は千種川が形成した三角州の先端に立地した海城・平城であり、
本丸内の庭園は江戸初期の典型的な大名庭園だそうです。

平成4年~8年に掛けて発掘調査・古絵図面などを基に復元されたが、
その施工をしたのは,たまたま私が若い頃・最初に就職した建設会社でした。


          四十七士が居並ぶ大石神社 参道
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d0124388_17494247.jpg堀部 安兵衛の像

大石神社の山門に通じる参道両側には四十七士の像が居並ぶが、
山門から3人目右側に堀部 安兵衛の像が立っている。
安兵衛の出身は私のブログ仲間と同じ新潟県新発田であることを
最近彼のブログを通じて知った。


堀部 安兵衛は赤穂義士として著名であるが、
高田の馬場の仇討・決闘でも有名です。
高田の馬場の仇討は講談の世界だと思っていたが史実のようです。

仇討ちの相手は安兵衛が文武において私淑する菅野兼清の敵です。
菅野兼清は紀州徳川の分家・伊予西条(松平)藩の江戸詰め重臣。

以上のことは池上正太郎「堀部 安兵衛」で知ったのだが、
伊予西条は私の郷里、
なんとなく堀部 安兵衛に興味を持ち取り上げてみた。



          山門から大石神社を見る
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     山門に一番近いところ、左には大石内蔵助の像  右に 大石主税の像がが立っている。


修復中の姫路城を見物後、何気なく赤穂に寄ったのだが、
見物した赤穂城を復元した会社が私が社会人として初めて勤めた会社だった。
また、赤穂義士の一人・堀部 安兵衛が私の郷里と関わりがあったことを確認した。
本当に日本は狭いですね。

午後は今夜の泊まり・福山に向かう途中、
吉備津神社を参拝し備中高松城址を見物する予定です。

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by dojyou38 | 2011-05-20 13:45 | 旅行 | Comments(12)
2011年 05月 17日

マレーシア留学生 歓迎会(5:15)

私たちの校区では1995年の福岡ユニバーシアードでマレーシア選手団を応援して以来、
今日までマレーシアと交流を続け今年で16年目です。
毎年 同国からの留学生の歓迎会・成人式を開催したり、地域の行事に招待しています。

先日 九州大学への新留学生の歓迎会を開催しました。
毎年は3月末に開催していますが、今年は東日本大震災のため、
留学生の到着の遅れなどがあり、5月にずれ込みました。


           
内浜・イポー交流の会石郷会長の歓迎挨拶      
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留学生による合唱                        留学在校院生夫妻           

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新入生の歓迎会だが、在学中の先輩達家族も一緒に招待する。
留学生の中で大学院生の多くは結婚しており、家族を含めると九州大学だけで
福岡に在留するマレーシア人は約100人もいるそうです。


d0124388_1136421.jpgマレーシア小学生の絵


小学校同士の絵画の交換で送られてきたもの。
その中の1枚だが、
マレーシアの田んぼにも
日本と同じような案山子が描かれています。







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留学生は殆んど全てイスラム教徒、アルコール・豚肉などは食べない。
毎年のことなので料理を作る女性陣はもうすっかり慣れている。

毎年5~6人の新入生が有るのだが、今年は3人。
震災の所為なのか、日本への関心が相対的に薄れているのか気になる。
今年の新入生も出発に当たって、親族は原発事故を大変心配していたとのこと。

外国から見ると、福島から遠く離れた九州も日本は同じに見られているようです。
何れにしても留学生達が所期の目的を達し、その間日本贔屓になり
帰国後、日本とマレーシアの良き架け橋となってくれることを期待したい。

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by dojyou38 | 2011-05-17 20:52 | 地域活動 | Comments(11)
2011年 05月 14日

天空の白鷺  5月5日(祝日)

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GWを大阪で過ごした私は福岡への帰路、改修中の姫路城(白鷺城)を見学しました。
工事中でしたが「天空の白鷺」と称して見学させています。
「尾張名古屋は城で持つ」と云われますが、城で持っているのは姫路ではないかと思いました。
 
何しろ日本の城郭の中で唯一世界遺産で、修理中で天守閣がすっぽり素屋根で
覆われているにも拘らず、見学用エレベーターの待ち時間は 1時間以上でした。
それでも、案内の方は「祝日ですが今日は空いています」とのことでした。



        大手門(桜門橋)前から見た天守閣(大天守が素屋根で覆われている)

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d0124388_151518.jpg工事用素屋根の断面

天守閣を覆う素屋根は高さ52m
     (13階建てのビルに相当)

8層になっていて、
 1、7,8層が見学者用フロワー
 他のフロアーは工事用

見学者用エレベーター  2基

素屋根の重さは約6000トン、
 それを支える基礎は約3700トン。



        見学通路から見た天守大屋根
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改修工事は2009~15年まで6年間に亘る大掛かりなもの。
葺き替える瓦だけでも各種合わせて8,000枚とのことです。


        はの門から見た天守群
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大天守が修復なればより一層美しいフォルムを見ることが出来るだろう。


        天守群の石垣裾を覆う「シャガ」の群生
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ブログ仲間からシャガの葉は滑りやすいので敵の侵入を防ぐため姫路城石垣の裾に植えられていると聞いていました。
本当に有りました。 江戸時代は全ての石垣を覆っていたのでしょう。
現在もその面影があちこちに残っていました。
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by dojyou38 | 2011-05-14 14:09 | 旅行 | Comments(9)
2011年 05月 10日

本日 山形を通過 (バーチャル日本一周歩こう会)

GWに富田林周辺を歩き回り、福岡への帰り道 姫路・赤穂・備中高松・鞆の浦・
広島などを観光しているうちに、バーチャルでは4月24日に米沢を通過して
赤湯(南陽市)経由し、山形に到着した。


桜前線は私が赤湯を歩いているころ、
私を追い越し今日は既に北海道に渡っているようだ。

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山形を訪問したことは無いが、8月の「花笠踊り」が全国的に有名ですね。
現在、その「ミス花笠踊」4人を募集中とのことです。
山形では花笠踊りが終わると9月は「芋煮会」のシーズン。

今では全国で「芋煮会」が行われていますが、山形がルーツのようで、
毎年9月の第1日曜日には山形市内の馬見ヶ崎河川敷で
「日本一の芋煮会フェスティバル」がおこなわれるそうです。
日本一の芋煮会、どんなものか見てみたいものだ。

「花笠踊り」も「芋煮会」も縁が無く寂しかったが、先を急ぐので天童に向けて歩きます。
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by dojyou38 | 2011-05-10 15:11 | アウトドアー | Comments(8)
2011年 05月 09日

海霧

長男宅で6日間過ごし、前出稿の池田・久安寺に立ち寄り姫路城を観光・姫路泊。
翌日は赤穂城址・吉備津神社・備中高松城址を廻って福山泊。
最終日は鞆の浦・広島に立ち寄り、全工程1457kmをドライブして無事帰宅。

途中の見聞記は後日UPする予定です。
9日間のGWを楽しんで福岡に返ってきたら、すっかり夏になっていました。
今日 9日の最高気温29度とのことです。


昨日郊外の友人宅を訪ねましたが、山の裾野・海面が真っ白にかすんでいました。
最初 黄砂かなと思いましたが海霧でした。
市内では海岸近くのビルは霧に包まれ、上層部だけが顔を出していたそうです。


            海霧に裾を覆われた毘沙門山(177m)
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福岡に30年近く済んでいますが、このような光景は初めてです。
これは放射冷却による「放射霧」ではなく、
冷たい海水の上に南から暖かい湿った空気が流れ込んで発生する海霧だそうです。


            海霧に飲み込まれる可也山(365m)
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            可也山に海(右側)から霧が迫っています。
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by dojyou38 | 2011-05-09 11:19 | 街並みウォッチング | Comments(14)