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2016年 05月 30日

今月の菜園

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d0124388_15284917.jpg私の小さな菜園も夏バージョンに衣替えです。

とは言うものの冬や春に何を作っていたかと云われると
皆様にお見せするようなものはありませんでした。

まともに出来たものはスナップエンドウ・サヤエンドウと
コマツナ・レタスなどでした。

僅か10坪ほどの広さですが、植付しているものは
欲張ってたくさんの種類で空き地はありません。

キュウリ・トマト(大・小)・ピーマン・ナス・オクラ・
ハヤトウリ・ゴーヤ・エダマメ・スナップエンドウ・
シュンキク・正月菜・夏ダイコン・コネギ・タアサイ・
コカブ・コマツナ・レタス・オオバその他。


d0124388_15493030.jpgたくさん植付はしているが、素人なので
まともに成長し結果を出しているものは少ない。

まず、虫と雑草との闘いがあります。
雑草は何とか作物の生長に妨げにならない程度には
押さえ込んでいますが、蝶などの幼虫には苦労します。

青い虫・黒い虫・黄色い虫などバラエティーに富む。
虫の姿は案外少ないのですが、葉物の被害は甚大。
特に、コマツナが集中攻撃を受けています。

毎日パトロールして除去していますが、虫の糞が有っても
姿を隠して蚕食された痕だけが増えていきます。


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夏野菜をこの菜園で作付けするのは今回が初めてです。
まだ結果は出ていませんが、果菜ではキュウリ・ミニトマト以外は元気なく見通しは暗いです。

土・土壌が以前、福岡でやっていた貸し農園とはだいぶ違うようです。
たくさんの種類を植えて適した野菜を見極めたいと思っています。




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by dojyou38 | 2016-05-30 15:20 | 菜園 | Comments(10)
2016年 05月 27日

里山ハイキング(仙元山コース)

                   仙元山展望所から葉山町中心部を俯瞰
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d0124388_1081938.jpg自宅の近くに里山・仙元山を廻る
ハイキングコースがあることを最近知りました。
仙元山の中腹の森の中にポツンと教会があります。

自宅から毎日見ている風景ですが、
眺めているうちに急に足慣しをしたくなりました。
 13:50 自宅をペットボトル1本だけもって出発。

自宅から500mばかりの木の下の信号が
ハイキングコースのスタート地点。 
信号から教会までは急坂のコンクリート道路です。

             葉山教会 
夜 自宅から仙元山方面を見上げると、
真っ暗な森の中にこの教会の尖塔の灯かりだけが
何かを導くように毎日 灯っていていい光景です。

d0124388_10213872.jpg教会からのハイキングルートは
主として常緑樹に覆われ眺望はなく
アップダウンが多い。

せいぜい10~20m程度の上り下りだが、
なだらかなルンルンの稜線を予想していたので、
擬木階段などの繰り返すアップダウンは
鍛えていない足には堪えます。

今日歩いたルートのなかでは唯一仙元山山頂は
視界が南西に開け葉山町の中心部を
俯瞰することが出来ましたが雲低く垂れ込めて、
相模湾の明るい景色が見えなかったのは残念。




d0124388_1122012.jpg葉山中心街の東に広がる山並みは
「双子山山系」と呼ばれ最高峰・茅塚でも標高は215mで、
東西5km南北2kmに広がる丘のようなものです。

その双子山山系にはボランティアによって幾つもの
ハイキングコースが設定されていますが、
全般的に樹木に覆われ道迷いが多いようです。
そのため道標が消防署などにより整備されている。

仙元山ハイキングコースはその西端にあり、
今日私が歩いたコースは木の下交差点~仙元山~
道標(葉12)から川久保集落に下り、同じルートを
ピストンしました。 歩行時間2時間半、距離約7km、
最高点は標高180mでした。


最近 図書館で「双子山山系主要分岐図」を入手して、毎日眺めている森にハイキングコースがあることを知りました。
自宅からは平坦な尾根道に見えますが歩いてみると、露出した岩尾根だったり階段の連続だったり結構ハードでした。
今日歩いたルート以外に、幾つもの長いコースもあるようです。
手近にこのようなコースがあるのが分ったので、これからの登山の足慣しに定期的に歩きたいと思います。



今日のハイキングで出あった花
花の名は自信ありません。正確でないので間違っていたら何方でもご指摘ください。

ヤマホロシ                                        ノアザミ
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ナルコユリ                                        ホタルブクロ
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by dojyou38 | 2016-05-27 10:55 | 登山 | Comments(12)
2016年 05月 23日

本覚寺 (鎌倉)

d0124388_435986.jpg連合いの白内障手術の付き合いで鎌倉通いが続いています。
手術は両眼とも無事終わり術後の経過も順調ですが、
定期的にメンテナンスのため通院しています。

その眼科医院の隣に大きな寺院があります。
そこは鎌倉の観光案内にも大きく取り上げられている
有名な本覚寺だったので、
連合いが診察を受けている間に拝観しました。

                  眼科医院と本覚寺・夷堂 

      本覚寺 楼門 ↓
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d0124388_5215479.jpg 本覚寺 由緒書


由緒書にあるとおりこのお寺も鎌倉幕府
関係があり、本覚寺の夷堂は源頼朝
幕府の鬼門に夷神を祀ったのが
始まりだそうです。

日蓮は佐渡から赦免され鎌倉に戻り、
身延に移るまでの間、夷堂を拠点として
辻説法をしたといわれている。

また、眼病に効くお寺としても知られている。
奇しくも隣接して連合いが通院する眼科医院
がありますが、お寺とは関係ないようです。

  





d0124388_754765.jpg 本堂と修学旅行生


本堂は改修工事中でした。
私が私が拝観したのは午前9時でしたが、
早くも修学旅行生も見えていました。


最近の修学旅行生はクラス全員一緒に行動するだけでなく、
このようにグループで見学先を自由に決めて見学し、
その街の歴史などを勉強しているようです。
  (山形県からの修学旅行生)




   本覚寺の創建にかかわる夷堂と満開の花を付けたセンダン         (センダンの花 ↓ )
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d0124388_11241210.jpg 日蓮の分骨を祀る祖師堂

祖師堂には身延山より移した日蓮の分骨が
祀られており、東身延と称されている。

祖師堂前のシダレザクラは鎌倉でも有名なようです。
(この写真は3月24日に写したもの)










d0124388_11431273.jpg岡崎五郎入道正宗の墓   

正宗は日本刀剣史上もっとも著名な刀工の一人で、
日蓮聖人に小さい頃おから大変可愛がられ、、
「正宗」という名を与えられたという話があり、
お墓があるのはその関係だともいわれています。
  (この写真はネットより拝借)

私は連合いの眼科通院の鎌倉通いに
便乗して医院周辺の観光スポットを
3箇所めぐりましたが、何れも頼朝関連でした。

大功寺は頼朝が軍評定をしたところ、
段葛は頼朝が妻・政子の安産祈願のため築造、
本覚寺は頼朝が建てた幕府の鬼門を守る夷堂。

これから先訪れる鎌倉観光でも源頼朝が廻る先々で度々現れるだろうと思うとともに、
鎌倉は頼朝抜きには語れない街と実感しました。


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by dojyou38 | 2016-05-23 18:26 | 湘南風景 | Comments(10)
2016年 05月 20日

足慣し登山 大楠山

湘南国際村からの大楠山の眺め(山頂右の塔はアメダス測候所)
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d0124388_1743158.jpg4月初めに脊椎菅狭窄を発症して初めて山歩きテストです。
場所は三浦半島最高峰・大楠山、最高峰と言っても
標高は241m。大楠山にも幾つもハイキングコースが
有りますが、今日は国際村からのピストンです。

距離は往復5km弱、累積標高差は約00m。
なだらかな小さな登り下りを繰り返す。
歩径路の両側には様々な可憐な花が咲いて、
私のハイキング復活を歓迎してくれています。

好天の下、新緑を吹き渡るそよ風を受けながらの
久し振りのハイキングは、超低山でも
何だ自然に抱かれているようでウキウキです。




d0124388_1823566.jpg 8:10 国際村をスタートして、道端に咲く花などを
見ながら、暫くぶりのハイキングなので
ゆったりと歩みを進めました。

 9:10 山頂に着きましたが、平日で少し
早かったのか山頂広場は閑散としていて、
そんなに強い風でもないのに、展望台も
「強風のため閉鎖」となって誰もいません。

レストハウス屋上で米軍の水兵と思われる数人が
裸で甲羅干ししているのが目立ちました。

私は水分補給して、山頂広場とアメダス観測所を
一回りして早々に山頂を離れました。
 10:10 スタート地点国際村に下山


        山頂から相模湾方面を見る(見えるはずの大島は霞みの中です)
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久し振りに里山へ出ましたが、この程度のハイキングでは支障なく歩けることが分りホッとしました。
ただ、坂道では左膝にまだ若干の違和感が残っています。
それに暫く歩かないうちに、歩く速度が随分遅くなっているのが心配です。
これから、定期的に近くの山歩きをして脚力を回復させたいと思います。


 
">大楠山で出会った花

ベニバナツメクサ                                     ヒルザキツキミソウ
d0124388_6432076.jpgd0124388_643548.jpg













 ?ウツキ ?                                                 シャリンバイ
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  ハルジョオン                                      アジサイ
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  ヘビイチゴ                                        シャガ
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  ?ヒルガオ ?                                        スイカズラ
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by dojyou38 | 2016-05-20 14:45 | 登山 | Comments(16)
2016年 05月 17日

萩 旅行 (元 職場の同窓会) 3

d0124388_11552889.jpg翌早朝は昨夜ゆっくり出来なかった
この旅館の売り物・温泉をゆっくり味わいましたが、
湯壷が15種類もあり全てを楽しむことは出来ませんでした。

朝食後9時から観光の予定だったが、私の飛行機に合わせるため
8時からガイド付きマイクロバスで市内観光をすることになりました。
当日は雨もようでしたが、傘を差すほどのこともありませんでした。

緊急入院したOさんのことが心配ですが病院からの報告では、
後遺症が手足に軽くあるが言語はしっかりしているとのことで、
病院に任すことにしました。

先ず、萩を代表する明治維新の先覚者「吉田松陰」ゆかりの地へ。

松陰が塾頭となり明治維新の逸材を育てた「松下村塾」ですが、
彼が創設したと思っていたが叔父が始めた塾を28歳で継承し、
身分階級にとらわれず若者を教育したのは僅か1年余りでした。
 
松下村塾に使われた建物は現存していて
明治日本の産業革命遺産として世界遺産に指定されていた。

「松下村塾」の近くに珍しい「ホウライチク」の一群がありました。
この竹は地下茎がはびこらず親竹の周りにしか竹の子が
生えないので「孝行竹」と云われるそうで、
松陰は親孝行で竹を好んだので植えられたそうです。




d0124388_11133419.jpg松下村塾に隣接して松陰を祀る松陰神社が鎮座している。

神社の正面の鳥居の前に御影石の
大きな柱があり、松陰神社と彫られています。

字は特徴ある右肩上がりの吉田松陰本人の筆跡です。
これは本人が自分を祀る神社できると考えて残した
ものではなく、松陰の様々な文書から拾い集めて
模ったものだそうです。

この後、松陰生誕の地を廻りました。 
その地は日本海と萩城を一望できる高台でしたが、
城からは4kmも離れ下級武士だったことが伺えた。



d0124388_15265732.jpg松陰ゆかりの地の後、36万石の萩城址と武家屋敷、
日本の道100選の菊屋横丁など
を午前中観光しました。

萩の街は何度か尋ねているが、今回はY君の手配で
博識のベテランガイドが案内してくれたので、これまで
知らなかった萩の魅力を堪能することが出来ました。

私は帰りの飛行機の時間の都合で、他のメンバーと
昼食を共にすることも無く、一人新山口に向いました。

帰りの1時間のバス移動でも車窓から風情のある
赤い屋根の風景を飽きることなく眺めていました。

今回の職場同窓会は脊椎菅狭窄症のため、
参加できるか間際まで不安だったが、他のメンバーとの
約束を何とか守れてホッとしました。

今回久し振りに集まってみて全員年とったことを実感。
詳しくは書かなかったが、1名を除いてそれぞれ持病を抱えていて、次の再会が難しいのではと考えさせられた同窓会でした。

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(5月11日)




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by dojyou38 | 2016-05-17 11:05 | 旅行 | Comments(10)
2016年 05月 15日

萩へ(元 職場の同窓会) 2

d0124388_1243214.jpg会場は萩では温泉を売り物にしている旅館のようですが、
私は他のメンバーを待たせているようだったので、
早めに入浴を済ませ寝る前にゆっくり入ることにした。

集まったのは関東から3人、関西から2人と萩在住の6名。
飲みながら近況を報告した後は在職当時の思い出話や
当時の社員の消息など話の種が尽きません。

ところが、関西から参加のOさんの様子が変です。
聞くと、今朝 起きたとき急に異常だったが、
大したこと無いと、新幹線に乗ったそうです。

宴が進むにつれて、ますますおかしい。
会話は普通だが、飲んだビールが口からこぼれます。
私は直ぐ、脳梗塞だと思いました。


d0124388_17372424.jpg午後8時でした。直ちに救急車を呼ぶことにしました。
ホスト役Y君が旅館と掛け合いサイレンを鳴らさず救急車を呼びました。
地方都市ではその時間に
脳梗塞に対処出来る病院は簡単ではありません。

ここでも、Y君と救急隊との相談でY君が懇意にしている病院へ。
当直医師は専門外でしたが、Y君が昵懇にしている院長が
直ちに駆けつけて適切な対処してくれました。
予想通り脳梗塞で2週間の入院と決まりました。

Oさんは普段健康で殆ど病院通いすることも無かったので、
当日の朝の異変を重大には考えなかったようです。

院長の処置と治療方針など決まってから、
奥さんに連絡などしているうちに、
宴会後入る予定の温泉は翌朝までお預けになりました。



私は脳梗塞で救急車を呼ぶ現場に立ち会うのは2度目でした。
一度目は九重の山中をハイキング中だったので、病院での処置がやや遅れ後遺症が残ってしまいました。
その経験が有ったので、今回は本人の意向を無視して直ちに救急車を呼びました。

今回は脳梗塞が比較的小さかったのと処置が良かったので、
肉体的な多少の後遺症があるものの言語障害が残らなかったのは幸いでした。
おそらく、手足などの後遺症もだんだん回復することでしょう。

何れにしても、私たちの年代になると何時何処で何が起こるか分らないということの見本のような事態でした。
(5月10日)




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by dojyou38 | 2016-05-15 10:57 | 旅行 | Comments(12)
2016年 05月 12日

萩へ(元 職場の同窓会) (1)

d0124388_17285087.jpg私は社会人になって9年目、それまで経理や現場など
を経験して31歳で営業マンになりました。
その時の営業課のOB会が萩で開催された。

その営業課は新事業のため編成された部署でしたが、
会社の組織変更で3年ほどで解体され、
メンバーの何人かは転職した人も。

解体された後もその営業課の絆・団結力は保たれ、
私も転職組の1人だが転職後もお互いに、
情報交換・仕事の紹介などをしてきた。

そのためリタイアー後も何年か置きにOB会をしている。
鬼籍に入ったメンバーもあり今回集まったのは6名。


d0124388_21461094.jpg今回は郷里・萩に若くしてUターンしていた当時の
一番若手課員がホスト役を引き受けて
くれたので萩で開催するにことになった。

萩へは宇部空港からバスで行くことにした。
宇部空港は新幹線が福岡まで延伸していなかった頃、
1度だけ利用したことがあるが殆ど記憶から消えている。

宇部空港の就航路線は羽田への1日10便だけだが、
さすが首相のお膝元、就航路線に比べ大きすぎるような
立派な施設で、バス発着場から広い駐車場の周りの
庭園・植栽なども見事なものでした。

そして、広い花壇は植物園のバラ園と見紛うばかりの
バラエティに富んだ満開のバラで彩られていました。



d0124388_17533772.jpg宇部空港から萩への直通バスはなく、
JR新山口駅で萩行きに乗換えします。

迂闊なことだが、今回の旅行で新山口駅を初めて知る。
平成15年 山口市と小郡町の合併などにより、
小郡駅から新山口駅に改名したのを知りませんでした。

これも安倍首相の恩恵なのか、
利用者が多いとも思われないが駅周辺では盛んに
インフラ整備が行われていました。

この様子を駅前に立つ放浪の俳人・種田山頭火
どのように見ているでしょうか。


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葉山から萩へ行くことは滅多にない機会なので、本来なら前泊か後泊して観光を楽しみたいところだが、
坐骨神経痛で観光を楽しむ余裕が無く、今回はOB会に参加するだけの予定を組みました。

宇部空港 14:40発の市営バスで新山口駅へ、新山口からは防長バスに乗換え萩へ向う。
バスが新山口を出て、国道490号で山間に入ると山陰独特の「赤い屋根」の家が多くなりました。

何十年か前 初めて山陰を旅行した時、
四国育ちの私には四国には無い赤い瓦屋根がとても新鮮で、その時のことを鮮明に覚えています。
この石州瓦と呼ばれる赤い瓦は島根県で生産され、豪雪・寒冷地で多く使われるそうです。

16:45 赤い瓦の集落を見飽きることも無く眺めているうちに萩バスセンターに到着しました。
直ぐに、タクシーで松陰神社近くのの旅館に駆けつけましたが、既に他のメンバーは温泉を楽しんでいました。(5月10日)





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by dojyou38 | 2016-05-12 17:15 | 旅行 | Comments(8)
2016年 05月 12日

今朝の富士

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d0124388_1127857.jpg今朝8時頃、葉山海岸からみた眺めです。

今日は空気が乾燥し富士の姿がくっきり見えていますが、
このところの気温上昇で雪の形が小さくなりました。

これから益々雪形は小さくなり湿度も上がるので、
富士の姿がくっきり見える回数も少なくなるでしょう。

離岸堤と江ノ島の間に浮かぶ白い船は
シラス漁の漁船です。







d0124388_11384960.jpg「富士には月見草が良く似合う」と
太宰治が言ったそうですが、自宅から海岸への
道端に「ツキミソウ」が咲いていました。

太宰が記した月見草は多分「マツヨイグサ」だと
思いますが、これは月見草でも「ヒルザキツキミソウ」で
北アメリカからの帰化植物です。

花言葉は「固く結ばれた愛」だそうです。
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by dojyou38 | 2016-05-12 11:25 | 湘南風景 | Comments(13)
2016年 05月 08日

鶴岡八幡宮 段葛

連合いの白内障手術の送り迎えで鎌倉に通っています。
眼科のすぐ傍に鶴岡八幡宮の参道・段葛(だんかずら)があり、今年3月末改修工事が終わったので見てきました。

                    二の鳥居から八幡宮本殿を望む
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d0124388_1521625.jpg由比ガ浜(相模湾)から鶴岡八幡宮に向って真直ぐに
鎌倉のメインストリート・若宮大路が2km伸びている。

八幡宮本殿正面・太鼓橋前の三の鳥居から中間にある
二の鳥居までの約600mには両側にある歩道とは別に
道の中央に石積で一段高くなった参道があります。

その高くなっている参道を「段葛」と言います。
頼朝が政子の安産を祈願して、それまで曲がりくねって
いた参道を真直ぐにし中央を葛石を積み上げて
一段高くしたので段葛と呼ばれている。

造られた当時は由比ガ浜に近い一の鳥居から
三の鳥居まで続いていたが、明治時代に横須賀線が
参道を横断するなどして二の鳥居から南は撤去された。


d0124388_160201.jpgこの段葛は2年間の工期と7億円余をかけた
改修工事が今年3月末に竣工し、
歌舞伎の中村吉衛門らを迎え通り初めをしました。

この段葛がある通り若宮大路は県道ですが、
道路の中央部・段葛のある部分は鶴岡八幡宮の
境内で改修工事も八幡宮が施主となってされたようです。

段葛の起点・二の鳥居付近の道幅は4.5mですが、
終点の三の鳥居付近の道幅は2.7mだと言います。
また、道路から盛り上げた高さも起点では高く、
終点では低くしてあります。

それは遠近法によって、正面に見える八幡宮が
実際より遠くに見えるようにするためだそうです。

                       段葛終点からみた三の鳥居付近
d0124388_22313100.jpg


この日(5月6日金曜)平日であったが、鎌倉はどこも観光客で溢れていて写真を撮るのに苦労しました。
ここ三の鳥居付近も修学旅行生や外国人観光客でごった返していましたが、
この段葛の改修工事の竣工が鎌倉観光の新たな話題となり、観光客が更に増えるだろう。
これからは車で鎌倉に行くのは極力避けるようにしたいと思いました。





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by dojyou38 | 2016-05-08 15:02 | 湘南風景 | Comments(10)
2016年 05月 05日

端午の節句

d0124388_20261830.jpg今日はこどもの日であり、『端午の節句』でもあります。
男の子の健やかな成長を願い祝う日です。

端午の節句を祝うようになったのは
武家社会になった鎌倉時代と言われています。

私が子供の頃は庭に5~6mもある孟宗竹か
杉丸太を立てて何匹もの大きな鯉幟の吹流しを、
座敷には桃太郎などの五月人形を飾っていた。

私の子供にも端午の節句を祝ったが、
都会の社宅住まいでは鯉幟を揚げることも出きず、
その頃 流行った兜を飾りました。

大人でも被ることが出来るような大きな兜飾りであったが、
転勤で転宅を繰り返すうちに誰かに譲ってしまった。

男の孫Kが生れて、改めて兜飾りを贈ることになったが、
新婚の長男の狭い社宅では大きな段飾りも
ままならず写真のような小さな飾りとなった。

今となっては、あの時独断でもう少し大きい兜に
しておけばと悔やむ爺であります。
 
小3の孫 Kは今 武士に憧れていて、どこで調べたのかこの兜は源頼朝のだといっています。
確かに頼朝の兜を模したもののようです。
後に掲げた袱紗の家紋を見て、眞田丸の六文銭と比べながら俺のトレードマークだとはしゃいでいます。

まだ小さいKを何時まで見守って遣れるかわからないが、
健康で道誤ることなく育ってくれることを願う婆と爺です。


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by dojyou38 | 2016-05-05 08:29 | 家族 | Comments(8)