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某日某月

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2011年 03月 16日

新潟に到着(バーチャル日本一周歩こう会)

2月21日三条を通過して、やっと昨日(3月16)新潟に着いた。
この間 風邪気味で極力外出を控えた為、三条から僅か36kmを23日間掛った。
新潟は昨年マイカーでドライブ旅行をしたとき、
鳥屋野潟や豪農・伊藤邸などを観光するため立ち寄ったところです。


ここ新潟も2064年、私が社会人になって間もない頃大地震がありました。
液状化によりたくさんのビルや貯油タンクが倒壊、
このとき初めて液状化という言葉をを知った。

信濃川に架かる万代橋(2010:6:03)
新潟に到着(バーチャル日本一周歩こう会)_d0124388_1051431.jpg

新潟大地震で信濃川に架かる他の橋が通行不能になるなか、
万代橋は終戦まもなく2029年に開通した橋だが、潜函工法によって
高い耐震性を持っいたので、殆んど被害を受けることが無く、
震災の復興に大きな役割を果たしたとの事。

新潟に到着(バーチャル日本一周歩こう会)_d0124388_20104673.jpg


これから新発田・中条を経由して山形~秋田へと北上していくが、
私にとってはこの歳になるまで足を踏み入れたことの無い処女地です。
どんな景色を見せてくれるか楽しみである。
幸い、今回の東北・関東大地震でも大きな被害は受けていないようだ。

# by dojyou38 | 2011-03-16 09:55 | アウトドアー | Comments(8)
2011年 03月 12日

巨大地震発生

日本の政治のごたごたを狙い撃ちするように巨大地震・津波が発生しました。
被害に遭われた方々にお見舞い申し上げるとともに、
犠牲者に対し心より哀悼の念を表したいと思います。

さて日本は地震の巣窟の上にあることを自覚し、それなりの組織と巨費を投じて、
世界最先端の調査研究と対策を講じてきたのではなかったか。
今回の地震では結果論では有るが、これらの対策は全く用をなさなかったのではないか。
努力のむなしさを感じざるを得ない。


自然の猛威に対しては
    如何にしても人智は及ばないのだろうか。


今回の地震で、もう一つ納得出来ないことがある。
原子力発電所の事故・被害だ。
原発の安全対策の最大の眼目は地震対策ではなかったのか。
今回の事故の原因は緊急炉心冷却装置への電力供給のトラブルという。


電力会社が電力供給のトラブルとは如何なものか

二重三重の対策が講じられていたのではないか。
不測の事態に対する備えはどうなっていたのか。
この事故の説明を官房長や経産省保安院が記者会見しているが、
なぜ当事者の東京電力が説明・陳謝しないのか、不明朗なものを感じる。
何か隠された原因(地震以外の)があるのではと疑いたくなる。


# by dojyou38 | 2011-03-12 22:44 | 街並みウォッチング | Comments(12)
2011年 03月 10日

博多駅のブロンズ その2 「黒田武士」

新装成った博多駅に立ち寄った序でに、
以前の駅に設置されていたブロンズがどうなっているか歩いてみた。
既にUPしたようにヘンリームーアの「着衣の横たわる母と子」は以前の場所と
変わっていたが、ほぼ駅前中央に設置されていた。

次に、以前に駅前通りに面して設置されていた「黒田武士」像を捜すと、
何故か駅前南端の郵便局前に移されていた。

駅前の端に追いやられた「黒田武士」
博多駅のブロンズ その2 「黒田武士」_d0124388_2121792.jpg

博多駅のブロンズ その2 「黒田武士」_d0124388_2161875.jpg「酒は呑め呑め 呑むならば 
日本一(ひのもといち)のこの槍を 
呑み取るほどに呑むならば 
これぞ真の黒田武士」の
モデル母里太兵衛は実在の人物。

屋敷は中央区天神に在った。
この唄に出てくる日本一の槍
「日本号」は現在 福岡博物館に
展示されている。





「黒田武士」は福岡を代表する民謡・今様であり。
九州で私の年代では、宴会では無くてはならない唄だった。

最近ではこの唄もだんだん唄われなくなった。
「黒田武士」像が駅前広場の端に追いやられたのも時代の所為だろうか。


# by dojyou38 | 2011-03-10 20:48 | 街並みウォッチング | Comments(7)
2011年 03月 08日

博多駅に還ってきた母子像

3月3日博多駅が新しく大きくなってオープンしました。
博多駅には以前から幾つもの彫刻やレリーフが飾られていましたが、
改築工事に伴い、すべて撤去されていました。
駅ビルのオープンとともに装いも新しく還ってきました。

着衣の横たわる母と子 (ヘンリー・ムーア)

博多駅に還ってきた母子像_d0124388_10445871.jpg

博多駅に配置されている彫刻やレリーフは殆んどは、
この地域の歴史や伝統に由来するものだが、
このブロンズ像だけが純粋な芸術作品です。

この像は福岡市市制100年を記念して1988年に設置され、
博多駅を利用する旅人達の心を癒してきましたが、
1昨年だったか心無い人によって一部破損していました。
新装成ったムーアの像が末永く、傷つけれれることなく市民から愛されることを願いたい。

新駅ビルがオープンして6日目、初めて駅ビルへ行った。
大きくモダンになっていたが、兎に角人が多い。 恐らく以前の倍以上かと。
新聞では開業5日間の来場者は138万と伝えている。

まだ、九州新幹線は全通していない。 熊本・博多間の開通は12日だ。
九州の地方都市は利便性は増すだろうが、ストロー現象の影響でどうなるのだろうか。

# by dojyou38 | 2011-03-08 22:50 | 街並みウォッチング | Comments(8)
2011年 03月 05日

海豚(イルカ)の塔

自宅から1kmほどのところに、博多湾に面して姪浜漁港があります。
小さな漁港ですが、毎週日曜日朝市が立ちます。
その漁港の駐車場の外れに「海豚の塔」を見つけた。
何時も綺麗に掃除されています。

説明文によると、昭和40年頃まで玄界灘を回遊する鯨や海豚の群れが
しばしば博多湾に迷い込んできていて、
博多湾に面した漁師達はそれらを捕獲、生活の糧としていた。

昭和25年11月21日、姪浜の漁師が海豚の大群を発見、30数頭を捕獲し、
戦後の食料難という背景もあり、多大の利益を得ました。
しかし、網に掛った母海豚に寄り添うようにして死んでいた子海豚も数多く、
心痛めた漁師達は哀れに思い鎮魂の碑を建てた。


海豚(イルカ)の塔_d0124388_15163615.jpg

今でこそ鯨や海豚の漁に対し、動物愛護とか虐待とかいって騒がれているが
当時は それが正常な漁の姿であり、正業であったろう。
それでも、子海豚の死に対し鎮魂の意を表している。

これは人間が他の動物の命を戴いていることへの感謝の表れであり、
それが日本人の心の美しさであり、日本人の気位だったと思う。
つい何年か前まで有ったこのような日本人の姿は何処へ行ったんだろう。
毎日のように理由も無く人を殺し傷つけあっているニュースに心が痛む。

「海豚の塔」の感想には少しオーバー?


# by dojyou38 | 2011-03-05 15:16 | 街並みウォッチング | Comments(13)