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2009年 01月 30日

中学卒業55年目の同級会

中学卒業55年目の同級会があった。 
ほぼ4年毎に開催されているが、前回欠席したので同級生と会うのは8年振りだ。
私たちは新制中学第5回(昭和29年)の卒業だ。幹事の報告によれば、
卒業生136人の内連絡付く者102名、消息不明13名、物故者23名。
当日参加者は27名。 これらの数字に卒業して55年の間のそれぞれの人生模様が・・・
それにしても、古希を迎える前に23名もの物故者がいることに考えさせられる。


中学正門
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合唱部の顕彰碑d0124388_21352456.jpg
同級会を前に母校を訪問した。
在学当時の面影は僅かに校舎の前に茂るソテツの植え込みだけ。
当時は田んぼの中にポツンと木造2階建の校舎で運動場も2年の時に出来た。
私たちの学校は同じ市内でも周辺部で生徒は殆んど農家。
職業と言う科目が有ったが、私たちのそれは農業で実習農園があり稲・麦・芋などを作った記憶が鮮明に残っている。 秋には「農芸祭」と言うバザーもあった。



運動部全国出場の垂れ幕d0124388_21381514.jpg
校庭を回ると合唱部やスキーでの全国大会出場記録。 
私たちの頃は野球とバレーボールぐらいかクラブ活動はなかった。 半世紀を経て豊かになり、都会と田舎の格差が無くなったことを実感。

2次会d0124388_22274272.jpg
多くの旧友には8年振りだが、卒業以来の出会いもあり、名前をなかなか思い出せない。 しかし、杯を交わすうちに中学生に戻りファーストネームが飛び交う様になりました。 
なぜか、当時喧嘩をしたこと・失敗をして先生に怒られた事を昨日ことのように話すが、成績のこと・ほめられたことは話題にならない。
話は尽きず命の洗濯をした3時間はあっという間に、それから2次会へ。

懇親会
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古希を迎えた私たちは通常 友人との会話は健康・病気・孫と相場が決まっている。
だが、今回の同級会ではその類の話題は殆んど出なかった。
中学時代の思い出話だけで時間が過ぎていった不思議な空間であった。

このような楽しい時間を作ってくれた幹事の苦労に心から感謝をしたい。

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# by dojyou38 | 2009-01-30 17:01 | 旅行 | Comments(6)
2009年 01月 25日

母校 甲子園へ

母校が今年春の選抜高校野球大会に出場することになりました。
今回春の選抜出場は4年ぶり6回目、甲子園は春・夏併せると11回目になります。

たまたま中学の同窓会が郷里であり帰省中であったため、
その出場決定発表の瞬間に立ち会うことが出来ました。


出場決定を喜ぶ後輩ナインたち
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今年のチームは昨年秋の四国地区大会での優勝・明治神宮大会でのベスト4の成績を残していたので、選抜出場は確実だろうと選手たちはその発表を今や遅しとユニフォーム姿で待ち受けていたようです。 
高野連からの電話を受けて集まった報道陣・在校生・卒業生前に現れ、
昭和34年夏の甲子園での優勝盾などを持って今大会での活躍を誓っていました。

甲子園出場決定の号外 (毎日新聞)
d0124388_15364574.jpg出場決定発表と同時に、今大会主催の毎日新聞は手回よく準備した号外を集まったファンに配っておりました。

号外によると、このチームの秋山投手は身長186cm 防御率1・15の本格派で、尚且つ打率・459でホームラン(2本)も打つスラッガー、絵に描いたような少年野球のようだ。 
チーム打率も・358、公式戦12試合で失策9と堅守だ。 これは大会での活躍が相当期待出来そうだ。

甲子園出場を祝う垂れ幕の前で同級生と
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帰省中、甲子園出場の発表があると聞き、同窓生と母校に駆けつけましたが、発表と同時に手際よく用意されていた垂れ幕が下ろされました。










母校正門風景
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母校は創立113年(明治29年)の県立高校で、西条藩(3万石)の藩庁の敷地に当時の大手門を正門として現在も使っています。 周囲は堀と土塁に囲まれ閑静で学業に打ち込める環境。 
在学中、この環境生かして勉強しなかったのが・・・

私の卒業2年後に甲子園で優勝したことがあります。
その後、何度も出場しましたが、ここ暫く大した戦歴はありません。
号外のデータどおりの活躍をしてくれると、今年は期待できそうです。

それにしても年に1度くらいの帰省中に、丁度出場発表に間に合う時間に連絡があり、
その場に居合わせることが出来たのはなんともラッキーでした。

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# by dojyou38 | 2009-01-25 15:31 | 旅行 | Comments(6)
2009年 01月 18日

遠見山

歩こう会2月例会の下見として久山町の遠見山(323m)に世話役3人で登りました。
この山は日本書紀に、神功皇后が三韓出兵に際しこの高岳に登り異国を見たと伝えられるところからその名が付きました。 登山口の伊野皇大神宮から1時間弱で山頂へ、
下りは猪野ダムを経由して約2時間強で登山口に戻りました。


遠見山  (久山町山田から新幹線越しに)
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伊野神宮と岩井の滝d0124388_22144096.jpg
遠見山への登山は伊野神宮に参拝して、神社の裏が登山口となっている。

登山口と山頂手前が少し急坂があるが、距離が短いので楽な山登りだ。







広葉自然林の登山道
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d0124388_14461011.jpg登山道は登山口から山頂をへて猪野ダムまで樹林の中を歩く。 全体として樹林は広葉樹の自然林とヒノキなどの人工林が交差する緩やかな散歩道。

 ← 道中で「普通母樹林」なる見かけない標識を発見。 福岡県に問い合わせると、
植林用の種・挿し木の枝などを採取するための樹林とのこと。


山頂より立花山を望む
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山頂からは福岡平野の山野や玄界灘が一望できる。
神功皇后は玄界灘を眺め、これからの遠征の覚悟を決めたことだろう。
この山は、その後戦国時代も島津氏や小早川氏も望楼を築いたところと言う。

猪野ダム
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d0124388_1513823.jpg山頂から登り道と反対側のルートで降りると林道を経てダムサイトに出る。

このダムは多々良川の支流・猪野川に多目的ダムとして2000年に完成しました。
猪野川はもともと源氏ほたるの生息地で、ダムの施工に際しても下流の護岸は蛍の生息に適した工法が採られ、今もダムの直ぐ下流は蛍の里として人気スポットである。

石造の倉庫d0124388_1511301.jpg
ダムの堰堤から階段で放水路降りて、
猪野川沿いの地道をを登山口に向かう。
距離は約3Kmだが、殆んど民家はない。

そこに忽然と、まるで南欧の田舎の教会を思わせる石造の倉庫?
謂れを聞きたかったが、周囲に人影なし。



茅の舎d0124388_15132826.jpg                       更に暫く歩を進めカーブを曲がると、いきなり多数の乗用車。約30台
付近に作業場らしきものは見当たらない。
近づくと、やがて周囲の風景に溶け込んだ
茅葺の家、大小2棟。

聞くと某明太子屋さんが経営するレストラン。
それにしても、この山奥のドン詰まりに!
昼のランチは3500円と聞く。
しかも、ウイークデイと言うのにこの賑わいは? 殆んど女連れの客でした。


大寒直前であったが穏やかな天候で快適な山歩きでした。
下りは変化も無く退屈なウォークになると思っていたが、
母樹林・石造倉庫・茅の舎など他、、
猪野川護岸には蛍の餌となるカワニナもたくさん見つけました。
ウォーキングはこのようにドライブでは気付かない発見がありました。
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# by dojyou38 | 2009-01-18 16:54 | 登山 | Comments(4)
2009年 01月 14日

留学生の成人式

今年も成人の日がやってきました。
私の校区の公民館では10年以上前からマレーシア・イポー市と友好関係にあります。
そんな関係で、福岡に留学しているマレーシアの学生たちと交流・支援をしています。
今日は今年成人を迎えた留学生達を公民館に招待し彼らの成人を祝う会をしました。


成人式を迎えた留学生
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今年成人した留学生は5人です。 
新成人たちは公民館が用意した羽織袴と振袖で日本式の成人式を体験しました。
新成人の前でエールを送っているのは先輩留学生の子供です。

留学生と留学生のファミリー
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例年は新成人だけを招待していたが、
今年は新成人以外の留学生とその家族も一緒に招待しましたので、多人数です。
大学院生の留学生には妻帯者も多く、たくさんの子供達もきていました。

留学生と  (アルコールのない食卓で)
d0124388_22243346.jpgマレーシアからの留学生の殆んどは
イスラム教徒です。
祝いの席でもアルコールは飲みません。 
飲み物は清涼飲料水、豚肉もご法度です
公民館の女性陣も毎年のことなので、その辺のことはよく理解しており豚肉やアルコールの入った食材・調味料は使わないよう気を使っているようです。


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 ← 鍋も2種類作っています。
留学生がよそっているのは豚肉の入らない鍋です。
そして、アルコールを飲んでいるのは祝いに参加した地元の私達だけです。





皆一緒に輪になって
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会食・懇親の後はビンゴゲームなどのアトラクション。
最後は留学生ファミリーも地元の参加者も全員一緒になって地元の音頭を踊りました。
3時間弱の短い時間でしたが、楽しい国際交流のひと時でした。


留学生の多くはそれなりに裕福な家庭の子弟のようでマイカー族も多数います。
留学期間も大学から、更に大学院に進学する学生も多く、
院生達は家族同伴の留学も当たり前のようでした。

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# by dojyou38 | 2009-01-14 21:39 | 地域活動 | Comments(10)
2009年 01月 11日

博多の築地塀

歩こう会の仲間で三社参りを兼ね博多の寺社を廻った。
福岡市博多区に御供所町と言う寺町がある。
この街を中心に大伽藍の博多を代表する古刹が多数軒を連ねている。

これは福岡藩祖黒田如水が城下町を作るにあたって、
城下町の防備の為川沿いに寺を集めた為である。
この街を歩くと100万都市の中心にありながら、閑静で歴史を感じる佇まいに出くわす。
その一つが寺院の伽藍を囲む築地塀である。


東長寺
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寺院の土塀に良く見かける五本線の入ったものです。
何時の時代からか知らないが、寺院の格式によって線の数が多くなり五本が最上級とされる
皇室などとかかわりのある由緒正しい寺によく見られる。 
ただ、近年五本以外の寺院は線を入れないと聞く。そう云えば五本以外は殆んど見かけない
この寺院は空海が唐から博多に帰国直後の806年に建立したと伝えられている。

幻住庵
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五本線の入った築地塀と白壁の築地塀に囲まれた如何にも寺町らしい佇まいだ。
この寺院は下の聖福寺の塔頭の一つで、大友宗麟の建立と伝えられる。

聖福寺
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d0124388_22534169.jpgこの築地塀が博多塀といわれるもので、
その起源は秀吉が島津氏を平定後、博多の町を復興する時に遡る。
塀の中に埋め込まれた瓦・石などは戦火で消失した家屋の残材・廃材とのこと。
このように廃材をリサイクルした築地塀は博多独特のもので、博多の町に何箇所も残っている。 勿論、現在あるものは当時のものでなく、何度も改築を重ねたものだろう。

ここは博多を代表する寺院の一つで、日本禅宗の開祖・栄西が宋での修行から帰国後の1195年将軍頼朝を開基として建立した日本最初の禅寺(臨済宗)である。





妙楽寺
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この寺院も禅寺(臨済宗)であるが、1316年北条時頼の創建と伝えられ、
境内には博多商人の紙屋宗湛や黒田藩重臣の墓が多数ある。


福岡・博多に住むようになって20余年になるが、知らないところがたくさんある。
博多の町を歩きながら寺社をめぐり、その沿革・来歴を紐解くと日本史の教科書に出てきた
出来事や人物とリンクするものが多く興味尽きないものがある。

これらの寺社を結ぶ路地は昔の面影を今に残すものも多数あるが、
都市の発展と共に寺社の周辺が開発されその雰囲気が失われるのは実に寂しい。

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# by dojyou38 | 2009-01-11 22:41 | 街並みウォッチング | Comments(7)