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2008年 05月 29日

琵琶湖の最北端を歩く ー その2

今日は菅浦から大浦まで7.4Kmを歩いた後、バスで菅浦まで引き返し、
そこから「つづら尾崎展望所」を往復(5Km)しました。 
今日は6時間歩きましたが、1時間ほど雨に祟られました。

d0124388_14523355.jpg  日本海までの近さに意味が有りますと言いましたが、この利便性を利用して日本海や北日本の物産がここ湖北に集まり、琵琶湖の水運を利用して京・大阪に運ばれました。
その船は丸子船と呼ばれ、大きさは百石(米250表)で最盛期は1400隻が往来したようです。

d0124388_14534253.jpg 菅浦は中世以来 惣村として、琵琶湖水上権を掌握した禁裏供御人の居住地でした。
その集落に入ると、四位家跡・五位家跡などがあります。 三位以上は貴族ですから、水上権の重要性と任された人たちの権位が偲ばれます。


また、菅浦集落の東西の入り口には四足門と呼ばれる立派な冠木門が現存しています。
この門は江戸の木戸のような閉鎖的なものでなく集落の領域を示したもののようです。





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   ↑ つづら尾崎から見た菅浦集落 (クリック→最大化で大きくしてみてください)
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  ↑ 伝統的な菅浦の民家
    大梁の端(白い丸太の端)が妻の壁から出ています。
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    ↑ 菅浦集落に今も残る(東西2箇所)四足門
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  つづら尾崎から見た竹生島(裏側・北側)  ↑
    土・岩がむき出しになり、白く雪のように見えるのは鵜の糞です。
    西国三十三ヶ所の宝厳寺があるのは島の南側です。

旅行好きで良く出かけますが歩いて廻ると, 車では気が付かない風物と地域の歴史と人に
触れることが出来ます。 それが歩きの醍醐味ですね。
湖北の旅でも京・大阪の近くにこのように過疎化した集落があり、
その集落が歴史上重要な地位を占めた時代があったことを改めて知りました。
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# by dojyou38 | 2008-05-29 14:55 | アウトドアー | Comments(6)
2008年 05月 28日

琵琶湖最北端を歩く(その1)

琵琶湖を一周するウォーキングツアーが有ります。
16回に分けて歩き、完全に一周します。
以前から参加しようと思っていましたが、日程調整つかず、初めての参加です。

今回は琵琶湖の最北端・塩津浜周辺を歩きましたが、
そこからは日本海・敦賀湾まで僅か18Kmの地点です。
日本海まで、この近さに重要な意味が有りました。
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琵琶湖の最北端は西浅井町にあり、塩津浜と言う集落があります。
琵琶湖と日本海を結ぶ塩津街(海)道(現在のR-8の一部に該当)は日本海の産物を
京・大阪に運ぶ重要なルートでした。

車社会になるまでは海上交通・水運(船)がハイウエイだったんですね。
その時代、ここは瀬田~淀川~大阪方面へのハブポートだったようです。
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 ↑ 塩津街道沿いの典型的な民家(間口から玄関が凹んでいます。) 雪対策か・・

d0124388_915163.jpg淡水湖の辺なのに神社の名は
 ←塩津神社
神社はその昔 この地で塩が作られ、
その先祖を祀っていると云われていますが、
その実は日本海からの塩の集散地だったからだと思われます。




← 若い彼、添乗員です。 
     外に現地ガイドも居ます

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   ↑ 湖岸に残る茅葺屋根(月出の集落)
                   ↓ 湖岸の道を歩く(塩津浜から月出集落へ)
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# by dojyou38 | 2008-05-28 09:05 | 旅行 | Comments(10)
2008年 05月 22日

潮干狩り・・・あさり

知人に誘われてアサリを獲りに行きました。 場所は室見川河口、
ここは海岸埋め立てに伴う補償で地元漁協が浅海漁業権を放棄した浅瀬です。
それで、誰でも自由に潮干狩りが出来ます。

ここは元々アサリの宝庫ですから、地区外の魚業者も大掛かりな仕掛けで獲りに来ます。
それに大都会の中ですから潮干狩りの数も尋常ではありません。
私は初めてですが、貝はたくさんいましたが大きくなる暇がないのでしょう。
殆ど稚貝のような小さなものばかりでした。

私は瀬戸内海・燧灘の遠浅の海岸に育ちました。
実家は漁師ではありませんが漁業権があり、小学生の頃 貝を採って小遣い稼ぎをしました。
一年中、様々な貝が豊富に獲れていました。
その遠浅の海は今は埋め立てられ工場地帯になっています。
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 ↑獲ってきた貝を海水砂出しをしています。

酒蒸し貝汁にしてもらいました。
しかし、やっぱが過ぎていて味は今一つでした。
でも、久し振りに自分で獲った貝、子供の頃を思い出しながら焼酎を傾けました。
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# by dojyou38 | 2008-05-22 20:41 | アウトドアー | Comments(8)
2008年 05月 18日

復興なった玄界島

ウォーキンググループで地震から復興した玄界島を歩く事になり、
その世話役として下見に行ってきました。
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博多埠頭から高速双胴船で35分、玄界島漁港に接岸です。
島に近づくにつれ、見事に復興した島の姿がズームアップされます。
地震災害の爪あとは全く見えず、埋立地にできたニュータウンのようです。
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漁港の接岸施設・防波堤・漁業組合の庁舎も全てピカピカです。
聞く所によると、通常の災害復興は国による財政支援は66.7%ですが、
離島の場合は80%、その上に激甚災害の指定を受けると更に上積みされ
それが3年間と言う短期間に実施されるそうです。 地元(市など)負担は殆ど不要か?

その法律によって今年4月 震災から僅か3年で600人が生活する島は完全復旧・再生したのが理解できます。
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d0124388_11595324.jpg保育園↑もこのように立て替えられ、道路も都心並みにカラー舗装 インフラは何処にも負けません。
今は個人住宅の一部に工事中のところも有りましたが、ほぼ公共工事も含め完成していました。 
← 新築再建中の地蔵堂



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    ↑   黒瀬
周囲僅か4Kmの島ですが漁港のある南側は穏やかでも、北側は玄界灘の荒波が打ち寄せ厳しい景色を造形していました。 島の北900mに浮かぶ 柱島↓(周囲360m、高さ91m)は勿論無人島で海鵜が生息し、その糞のため積雪したような美しさを醸している。

この島をはじめ大小の岩礁は大物が狙える釣の適地ですが、島には以前あった民宿や食堂などはまだ再開していません。 島の唯一の店は漁協の売店で酒はあるが弁当は置いていません。 そのためか、完全復旧したとは言え釣客などの来島はまだまだのようです。

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# by dojyou38 | 2008-05-18 20:59 | 街並みウォッチング | Comments(4)
2008年 05月 18日

初めての福智山

登山の先輩に誘われて、初めて福智山(901m)に登りました。
登山コースは幾つも有りますが、今回は一番短時間で登れる
上野(あがの)焼きで有名な赤池町から山に入ります。
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まず、赤池町の無料駐車場に参加者10名が揃い準備体操です。

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登山道は雑木林の新緑のトンネルで、爽快な空気をいっぱい受けながら登ります。
昨日の天気予報が嘘のように朝から晴天、路面が緩んでいる所もありましたが、絶好の登山日和でした。
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歩き始め
休憩らしい休みも取らず2時間余り、やっと頂上を遠望することが出来ました。
もう、ここからは樹木はまばら、すすき熊笹に変わります。

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標高901mの頂上は視界360度、眼下の筑豊平野を隔てて英彦山や北九州工業地帯↓まで素晴らしい眺望です。さすが、九州100名山の雄です。 頂上付近は奇岩巨石で覆われ、周りは熊笹原です。その中に福智山が英彦山六峰の一つである証にその分祠が祀られている。
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帰路、鷹取山(633m)へ寄り道しましたが、往路では気が付かなかったがそれなりの急登りもあり慎重に降りました。次機会が有れば別のルートで挑戦したいと思います。
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# by dojyou38 | 2008-05-18 10:33 | アウトドアー | Comments(0)