行けるとこまで

dojyou38.exblog.jp
ブログトップ
2017年 10月 12日

やぐら・鎌倉時代の墳墓遺跡について


まんだら堂やぐら群(名越)
d0124388_23353732.jpg

d0124388_20282844.jpg
上の写真の要塞のように見える岩窟は何だと思われますか。
鎌倉時代の墳墓遺跡で南関東以外にはないそうです。

先日、鎌倉アルプスと呼ばれている天園ハイキングコースを
歩きましたが、そのコース沿いでこのような遺跡を
幾つも目にしました。

鎌倉では通常「やぐら」と呼んでいます。鎌倉時代に
作られたもので入口には立派な扉もあったようですが
幕府が鎌倉から京都に移って以降、
墳墓は寂びれ朽ち果てていたようです。

江戸時代、山に入った人が門扉の崩れた岩窟を見て、
武具の倉庫「矢蔵」か戦火から家財を守るための「屋敷蔵」と勘違いして「やぐら」と呼んだそうです。

そもそも、このような墳墓が何故作られたか。
治承4(1180)年 鎌倉幕府が開府、三方山に囲まれた狭い鎌倉の地に大勢の人が住むようになった。
そして、有力御家人・有力者が競って豪華な墳墓・法華堂を作ったので、
市中の土地が足らなくなり幕府は市中に墳墓造成の禁止令を出したそうです。

そのため、このような山際に岩窟を穿ち立派な門扉を設け墳墓としたようです。
その後、元弘3(1333)年 鎌倉幕府が滅亡し幕府が京都に移ってからは墳墓が放置されたようです。
鎌倉周辺の山は柔らかい凝灰岩で掘削するのは容易だが、
逆にメンテナンスを怠ると容易に崩壊してご覧のような姿になってしまいます。

鎌倉地区にはこのような「やぐら」が約200群2~3窟あると言われている。
鎌倉周辺以外にも鎌倉幕府御家人の支配地・千葉県など南関東に残っているそうです。

大平山やぐら群
d0124388_09550587.jpg





[PR]

# by dojyou38 | 2017-10-12 20:34 | 家族 | Comments(10)
2017年 10月 10日

体育の日 プチハイキング IN 三浦アルプス南尾根


三浦アルプス南尾根のシンボル・仙元山(木の下橋より)
d0124388_16180081.jpg

d0124388_16400027.jpg

今日は体育の日、昨日に引き続き朝から快晴。
久し振りに家内を伴って庭続きのような
三浦アルプス南尾根へ出掛けました。

南尾根のシンボル仙元山から見下ろす湘南の海には
数え切れないヨットが隊列をなして遊弋していました。
この海で3年後にはオリンピックヨット競技が行われる。

海にはヨット以外にも小さくて見えませんがウインドサーフィン・
カヤックやサップなどもたくさん出ているようです。
ここから見えないが海岸も多くの人が出ていたことだろう。


d0124388_17111976.jpg

d0124388_17180226.jpg
仙元山のベンチで海を眺めながら暫く休憩をした。
その後、戸根山に向ったが途中にある上り下り合わせて
約300段の急坂は、もう何ヶ月も山歩きをご
無沙汰していた家内にはきつそうだった。

展望サイト戸根山でコーヒーを飲みながら
行動食でエネルギーを補給した。
眼下の一色海岸は穏やかに波が打ち寄せ、
ここでもマリンスポーツを楽しむ景色が広がっていました。

西の雲の上に富士山が幽かに姿を見せていました。
微かなシルエットでも富士山は良いものだ。
傍らで眺めていた外国人もいたく感激していたようです。

見慣れた花も同定できません。教えてください。
写真の配列もブログの編集方法が変わって上手く行きません。


d0124388_21144304.jpg
戸根山でのコーヒータイムの後、さらに東へ足を延ばし、
12:00 孫がサッカーの練習をしている小学校まで下りてきたがサッカーの練習はすでに終わっていた。
朝10:00自宅を出て、ジャスト2時間のゆったりしたハイキングでした。

帰宅途中、海鮮料理店に入ったが10組ほどの来店客は私達を除き殆ど女性の個人旅行客。
地元にいると葉山に人を大勢呼べるような観光資源が有るように思わないが、
休日は何時も観光客で賑わっている不思議な街です。


今日出会った植物
ここ数日気温が下がったとは言え、まだまだ暖かく今日の最高気温は24 度。
それでも、植物達はすでに冬支度を整えているように見受けられました。

キヅタ(蕾)                             タブ(冬芽)
d0124388_06460115.jpg
d0124388_06470653.jpg

























イヌビワ(実)                           この花の名?

d0124388_09332861.jpg
d0124388_09335950.jpg

シロヨメナ?                            ノハラアザミ

d0124388_09442480.jpg

d0124388_09432901.jpg





[PR]

# by dojyou38 | 2017-10-10 09:53 | 公民館 | Comments(12)
2017年 10月 06日

丹沢は山ビルの巣窟?

丹沢山系、特に東部は山ビルの巣窟のようです。
九州にいた時は山岳ハイキングでは殆ど山ビルのことを気にしていませんでした。
九州にも一部の山・鹿児島や宮崎の南部には生息していますが、
限られた山で夏場だけ気をつけていればよかったので、そのような山は夏は近づかなかった。


d0124388_14190387.jpg
神奈川に転居して、
自宅の周りには標高300m以上の山はありません。
気軽にアプローチできる山といえば、
自ずと丹沢東部の山になります。
その山が山ビルの巣窟だそうなので厄介です。

私はまだ山ビルを実際に見たことが無いので
ネットから借用した写真です⇒
体調は2~5cm、伸びると7cmにもなるそうです。

私が転居してきて初めて丹沢山に登るとき用意したのが、
山ビル忌避剤とクマ鈴 ↓でした。


d0124388_18311132.jpg
2年前転居早々、丹沢山系の大山に登ったときは
山ビルのことなど気にもかけずに出掛けましたが
下山中、不動尻分岐で山ビルにやられたと
しょげている若いカップルに出会いました。

それで丹沢山に登るときは←「ヒル下りのジョニー」を
携行しましたが、山頂小屋の主からも丹沢はヒルが多いので
塩水でもよいから必ず対策するように言われました。

それから後は丹沢へはヒル注意して登っていますが
先日再び大山に行った時、麓の石雲寺
法話ではなく下の写真のような掲示を見ました。



d0124388_22530398.jpg



d0124388_22534884.jpg



d0124388_09223053.jpg
更に当日 女坂を下山したのですが、
おおやまケーブル駅近くの橋の欄干に写真のように
山ビル退治用の塩がおかれていました。

ここのように繰り返し山ビルへの注意喚起がると言うことは、実際に数多く被害者がいるのでしょう。

山ビルの活動期は4~11月と言われています。
確かに丹沢東部には山ビルが多いのでしょうが、
それなりの対策をしていれば大丈夫と思っています。





[PR]

# by dojyou38 | 2017-10-06 10:44 | アウトドアー | Comments(12)
2017年 10月 02日

今年もハヤトウリ豊作の兆し


グリーンカーテンにしていたキュウリのネットに繁茂したハヤトウリの蔓 ↓

d0124388_20401094.jpg

d0124388_20404991.jpg
今年もハヤトウリは豊作に兆しです。

ハヤトウリは短日植物なので、蔓を伸ばし始めるのは
5月頃なのですが、花を付けるのは9月初め、
収穫できるのは9月下旬から11月までです。

ウリ類は全般的に1年草ですが、このハヤトウリは
宿根性があり、今年は2年目です。
写真に写っているのは1株からでた蔓の3分の1ほど、
他の蔓は生垣に沿って10mも伸びています。

昨年は1株から300個も収穫しまし、
貰ってもらう方を探すのに苦労しました。
9月28日から収穫し始め今日(10月2日)で46個収穫しました。
今年も貰ってもう方を探すのに苦労するのだろうか。

鈴なりに実を付けたハヤトウリ
d0124388_22094366.jpg
ウリ類はキュウリやスイカのように1個の実にたくさん種がありますが、
ハヤトウリの種は1個に1粒しかありません。
しかも、その種を取り出して種まきしても発芽しません。

種のある実(全ての実に種があります)を種瓜として6ヶ月ほど保存して植え付けすると芽を出します。
1度種瓜を植えると宿根性がるので、蔓の地上部分は12月には枯れても
翌年発芽しますが、2年以上の宿根性があるかは知りません。
来年も芽を出してくれるか楽しみにします。

ハヤトウリは熱帯アメリカが原産で、鹿児島県に最初に移入されて広まったのでその名が付いたそうです。



[PR]

# by dojyou38 | 2017-10-02 22:32 | 菜園 | Comments(8)
2017年 09月 29日

鎌倉アルプスを廻る史跡ウォーキング

d0124388_11552387.jpg
コース
 10:00 ハイランド夕陽台公園~明王院~瑞泉寺~天園~12:20太平山(昼食)~覚園寺~(14:30)鎌倉宮

d0124388_12113427.jpg
今日は鎌倉の最高点を廻る歴史ハイキングで、
鎌倉逗子に跨る住宅団地をスタート鎌倉横浜の
境界にある丘陵を廻り鎌倉宮に下りますが、
そのコースに点在する名所旧跡を巡ります。

住宅の庭には秋らしくコムラサキの実が鮮やかに実っている。
高台の団地を下り、鎌倉と横浜を結ぶ金沢街道を
横切って暫く進むと明王院の門前に出ました。

明王院は1235年 鎌倉幕府4代将軍・藤原頼経が
幕府の鬼門除けの将軍祈願寺として建立し
五代明王を祀っている。

当時は八幡宮と並ぶような高い寺格が与えられ広壮な
伽藍を誇っていたそうですが、
江戸時代の火災などにより
現在は茅葺の本堂だけになっていました。

境内の庭には早くもキンモクセイが既にに開花し
甘い香りが漂い秋の訪れを告げていました。。

           ひっそりとした佇まいの真言宗明王院
d0124388_15290139.jpg

d0124388_15435508.jpg
明王院からは天園ハイキンコースと
言われる丘陵歩きになる。
この辺りは凝灰岩が風化した土質で、樹木に覆われた
コースは数日前の雨が残り滑りやすく歩き辛い。

標高差は100m程だが何度も上り下りを繰り返し、
急坂のところもあり慎重に歩きます。

植林帯を通過し栗などの自然林の中に「初め弁天」
と云われる小さな社がありました。
江戸時代、弁天詣が流行し横浜方面から鎌倉や
江ノ島の弁天を廻る時、最初にお参りするのが
この弁天で「初め弁天」と言われたそうです。

d0124388_20440624.jpg

そこから僅かのところ、椎の大木の傍に
苔むし朽ち果てた石の五層塔がありました。

大江広元の墓と伝えられる。
あの教科書にも出てくる鎌倉幕府政所の初代別当として
幕府創設にかかわった重臣の墓としては余りにも哀れな姿。

実は広元の墓は鎌倉の別のところにもあるそうですが、
そちらの立派な墓は江戸時代、長州藩が毛利氏の
先祖として祀ったもので、本当の墓はこちらだと言われている。果たして真相や如何に!

国宝・瑞泉寺庭園(本堂は1枚目の写真)
d0124388_21282163.jpg
d0124388_14292121.jpg
浄明寺配水池分岐から左に本道をはずれ瑞泉寺を
拝観したが、この寺は京都天竜寺の石庭などをの残した
禅の高僧・夢窓疎石が開いた寺院として有名です。

ここの庭園は鎌倉石の岩盤・岸壁に池や岩窟を
彫刻して作られていて国宝に指定されている。


幕末この寺の住職が吉田松陰の伯父だったこともあり、
松陰はしばしば伯父を訪ね下田で黒船に乗り
込もうとした直前にも逗留したそうです。

また花の寺としても有名で、訪れた当日もフヨウ・
ムクゲ・ミズヒキ・アジサイ・
ホウズキ(実)などで彩られていました。

d0124388_23244179.jpg

d0124388_10054893.jpg
瑞泉寺拝観後、細い急な坂道を分岐まで引き返し、
なだらかな尾根道を辿って
12:20 鎌倉最高点の大平山に遣ってきました。

山頂かと思っていましたが、そこは樹木に囲まれ
てはいるが明るく広がっていて、家族連れなど
くさんのピクニックを楽しむ人で賑わっていました。

私達もその広場でゆっくりと昼食を摂りました。
私の今日の弁当は大船軒の「押し寿司」でした。




d0124388_10215152.jpg
大平山から尾根道を岩壁の刻まれた鎌倉時代の
墳墓の跡を眺めながら市中まで下りて、
鎌倉第2代執権・北条義時が建立した覚園寺を拝観。

14:30 解散地点・鎌倉宮に着きました。
鎌倉宮はこの地で悲運の最期を遂げた後醍醐天皇の
皇子・護良親王を悼んで明治天皇が創設した社です。

今日のウォーキングはここで解散しましたが、
私は逗子まで衣張山を越えて
歩いて帰る仲間に誘われて同行しました。



衣張山やまから眺めた鎌倉の街と稲村ヶ崎
d0124388_10474808.jpg
今日は山楽会の9月例会が天候不順で延び延びになっていたので、有志だけで実行したのですが、
私にとっては鎌倉アルプスと呼ばれる鎌倉の丘陵地を歩くのは初めてでした。

今日歩いたところは鎌倉の最高点ですが標高は僅か159.2m、
その直ぐ傍に横浜市の最高点もありましたが同じような159.4mで、
三浦半島周辺には高い山が無いことを改めて実感しました。

それらの丘陵を含め今日は何時もより少し長く自宅からの歩行も含め約12km歩きましたが、
同行者から鎌倉の史跡・名称の説明を聞き大変有意義なウォーキングになりました。




[PR]

# by dojyou38 | 2017-09-29 11:27 | アウトドアー | Comments(12)