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2017年 08月 15日

終戦記念日

終戦記念日_d0124388_18323692.png今日は72回目の終戦記念日である。

国民学校1年の夏休みだった。
詳しいことは覚えていない。

父は海軍に出征中だった。
母と一緒にラジオを聴いた。

放送の内容は分らなかったが、
母は急に泣きだし、お父さんが帰ってくると言った。
子供心にも戦争に負けて戦争が終わったと思った。

そして戦争に負けたのに、
その日以来まわりが明るくなったように覚えている。


それから72年、日本では戦争を知っている人が少なくなり、戦争があったことすら忘れようとしている。
それに引き換え、韓国や中国では従軍慰安婦・徴用工問題や南京事件などがしつこく蒸し返される。
私はそれらの実態は知らないが、日本も戦後相手国にそれなりの償いはしてきている。
いい加減で未来志向の友好関係を築くべきだと思っている。

なぜ、ここまでしつこく蒸し返されるのか。
相手国の政治的事情もあるのでしょうが、最近の安倍政権のやり方を見るに付け、
日本にも責任があるのではと疑問を持つようになった。

それは最近の森友・加計問題と同様、敗戦濃厚となる中、戦争責任となるような全ての証拠書類を
焼却・滅失させ、戦争犯罪の責任を曖昧にして言い逃れてきた結果ではないだろうかと思うことがあります。

何につけても、結果責任を明確にして責任者の処罰・謝罪を真摯に実行しておけば
ここまでしつこく蒸し返されることは無かったろうと残念に思う。
また、証拠書類を安易に意識的に処分することなく保管しておけば、
いらざる誤解や言いがかりを受けることは無く、反論も正々堂々出来るでしょう。

これは私の貧弱な知識による想像で、実態に裏打ちされたものではありません。
終戦の日に新聞を読みながら思いついた感想です。


by dojyou38 | 2017-08-15 18:00 | 挨拶 | Comments(10)
Commented by とんぼ at 2017-08-16 08:18 x
 終戦があったから今の自分がある・・・親からそういう話を聞いたことがあります。
二度と起きてほしくないと願うばかりです。
Commented by tetsu807-2 at 2017-08-16 11:27
終戦の日の昨日、TVなどで回顧録や生き延びた方の当時の
生の声を聞いていると、なんと無残なことが平然と行われて
いたり、軍の対応の残酷さが目に余ります。

戦火をくぐり生き延びた方90歳95歳100歳の方の
おかげで、当時の悲惨な状況もわかり、長寿のご褒美だと
思います。
Commented by dojyou38 at 2017-08-16 11:36
とんぼ さん
二度と起きて欲しくないと戦争をしない国になったのに、
戦争が出来る国が普通の国だと、戦争が出来る国になってしまいました。
恐ろしいことですで馬鹿げたことです。
Commented by dojyou38 at 2017-08-16 11:41
tetsu807-2 さん
あのようなむごたらしい戦争になったのは軍部の無責任体質がさせたのでしょう。
戦争の記録・記憶をしっかり次世代に伝えなければなりません。
Commented by Uchan at 2017-08-16 17:37 x
72年前の8月15日は国民小学年生でしたが正午に昭和天皇の玉音放送があり、近所のお年寄り5~6人我が家に集まりラジオの前に正座して聞きました。
天皇のお言葉は良く分かりませんでしたが、「~忍び難きを絶えくる苦しき難きを忍び・・・」くらいしか覚えていません。退役の軍人の父はアメリカの空爆で広島・長崎の空軍「
ピカドンの特殊爆弾で「日本帝国」ポツダム宣言を受け入れ無条件降伏を受け入れ敗戦国となったと説明した。
玉音放送をきいていたご婦人達は下を向きながら泣いていました。
連合国の米国は参戦した中国やそたの国々に戦争賠償責任を放棄させ、復興に専念しましたが、阿部内閣は米国トランプ政権に同調し、国粋主義の保守党となり内閣支持率は降下中です。
北朝鮮も共産党の独占国家で日本の帝国時代と同じく、朝鮮動乱の連合国と再戦体制を崩していません。北朝鮮は長距離弾道弾の発射による攻撃の構えでです・
Commented by dojyou38 at 2017-08-16 18:45
元衆議院議長の河野洋平さんは
「政治とは戦争をしないことだ。戦争は政治の失敗、外交の失敗だ」と力説している。
私も戦争をするのが普通の国なら、普通の国でなくて特殊な国でよいと思っています。
Commented by taminamikawa1 at 2017-08-16 21:58
終戦記念日は5歳で記憶にありません。
住まいが農村で多分、ラジオが無かったのでは・・・。
Commented by dojyou38 at 2017-08-17 09:00
taminamikawa1 さん
私も終戦の時は小1、詳しいことは何ら覚えていません。
そして、敗戦直後も物は無かったがそんなに悲惨な経験はしていません。
それでも終戦記念日前後に新聞などで伝えられる戦争のことを知るに付け、
戦争は絶対にしてはならないと認識を新たにしています。
Commented by matutaka31 at 2017-08-17 10:08
国民学校5年生だった私は、毎日の空襲や本土決戦に備えた竹やり訓練に
嫌気がさしていましたので、終戦に、正直ホツとした気持ちになったことを
思いだします。
72年も経った今でも、中国・韓国など戦争相手国から、戦争責任を問われるのは
本当にやりきれない気持になります。
ただ相手国だけを一方的に責めるのもどうかと思います。
戦争によって命を失った310万人のことを考えると私は、日本人に対しても、
もっと戦争責任を明確にしてほしい、との思いが消し難く残っています。
Commented by dojyou38 at 2017-08-17 18:18
matutaka31 さんは5年生でしたか、私は1年詳しくは覚えていませんが、
奉安殿が有ったこと、戦争が終わって2学期が始って間もなく運動場が芋畑になったことを幽かに覚えています。

新聞や本で知ったことですが、終戦前後に都合の悪い証拠書類を
焼却処分して知らぬ存ぜぬで責任逃れをしたことが、
今になって周辺諸国から未だにとやかく言われる原因の一つではないでしょうか。
そのようなやり方を安倍政権も森友・加計でもやっているように思います。


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