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2009年 06月 03日

知覧の武家屋敷(5/30)

知覧と言えば特攻基地、沖縄南部戦跡・広島・長崎と共に戦争の
悲劇を語り伝えねばならないところ。 今回が3回目の訪問。
過去2回は特攻関係の見学だけで武家屋敷を廻るのは今回が初めて。
と云うことで今回は武家屋敷だけをUPします。

知覧は藩政時代薩摩藩の外(支)城の一つで、島津氏の分家・佐多氏の治めた町。
佐多氏が薩摩藩主の参勤交代に随行し京都の文化に、また琉球貿易で沖縄文化に
接する機会が多く、今も残る武家屋敷にもその影響が色濃く残るとのこと。


伝統的建物群保存地区 (本馬場通り) 
知覧の武家屋敷(5/30)_d0124388_1194921.jpg
ここは知覧の中でも上級武士の邸宅街のようですが、当時建築協定があったのか殆んどの屋敷は腰まで石を積み、その上の生垣は槙で統一されています。 
生垣の巾に余裕のあるところは、決まってお茶の木を裾模様に植えています。
自給のための茶葉栽培だったのだろうか?

典型的な門構え
知覧の武家屋敷(5/30)_d0124388_11233085.jpg
冠木門と違うところは二本の門柱が冠木の高さで止まり、屋根より上に抜けていないところ。
門にはどこの家も扉が無い。その代わり通りより直接屋敷内が見えないように
屏風岩」と云う石の塀が有り、これは沖縄の風習が影響しているとのこと。

典型的な住居
知覧の武家屋敷(5/30)_d0124388_1412835.jpg
この武家屋敷群で現在残っていて、使われている住宅の殆んどは瓦葺である。
茅葺の現存する住宅はここと旧高城家の二軒です。
恐らく、当時は上級武士でも、どの住宅も茅葺屋根だったと思われる。
そして家の造りはこの住宅のように棟が二つあり、「二ツ家」と呼ばれるそうです。

住宅の庭園(平山家)
知覧の武家屋敷(5/30)_d0124388_14192040.jpg
どの住宅・屋敷には見事な庭園を伴っている。
その殆んどの庭園は枯山水で、
生垣と一体となり周囲の山を借景とするなど造園手法は琉球庭園に通ずるものだそうです。

鹿児島の桜島周辺の広大な地域は火山灰・シラス台地で、岩・石が極端に少ない。
その自然条件の中で、この地区では塀や庭園に自然石がふんだんに使われている。
その時代どこから運んだものなのか、さすが上級武士だから出来たことだろう。

それはさておき、良く手入れされた庭園、槙で統一された生垣、端正な町並み、
どれを取っても薩摩武士の矜持の一端を見る思いをしました。
1000円高速を利用して知覧まで来ましたが、
南九州へ来た本命は45年ぶりに明日登る 韓国岳です。


by dojyou38 | 2009-06-03 21:13 | 街並みウォッチング | Comments(2)
Commented by gxmwm944 at 2009-06-05 11:41
dojyou38 さん お久し振りです。色々な所に行かれますね~
知覧と言えば私も良く行きました。懐かしさが写真から蘇ります。
知覧には特攻基地があった所!映画ほたるを見たときは涙が止りませんでした。知覧特攻平和会館には特攻隊員1,035名の遺書がありましたね!
会館前にはゼロ戦が飾ってありますが、この飛行機は航空自衛隊の第2操縦学校で操縦学生が練習していたT6という練習機でした。
懐かしさが蘇りました。

韓国岳はもう登頂されたと思いますが。私は金山登山で腰をいためました。
残念ながら当分登山出来そうにありません。富士山語一緒出来なくなり
ゴメンナサイ!体調戻りましたらまたご一緒させて下さい。
Commented by dojyou38 at 2009-06-05 16:18
gxmwm944さん
知覧特攻平和会館、特攻兵の手記読むと歳を取っても、
何回行っても涙が出ますね。二度と過ちを繰り返したくないですね。

登山で腰をいためたとか、
楽しみにしていた富士登山一緒に行けなくて本当に残念です。
早く直してください。 全快したら一緒に登山しましょう。





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