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2018年 01月 29日 ( 1 )


2018年 01月 29日

歴史探訪ウォーク in 寒川(神奈川県)

                   ねぶたが飾られている寒川神社神門

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今月の歴史探訪ウォークは寒川でした。
8:o5 JR宮山駅から歩き始める。

今朝の冷え込みは今年一番と思われる寒さで
多分この時間でも0度前後だったでしょう。
着こんでは来たがしばれる~でした。


茅ヶ崎駅から相模線4つ目で相模一ノ宮・
寒川神社の最寄り駅は九州の感覚が未だ
抜けない私からすれば、十分に都会だと
思っていた宮山駅が無人駅だったのは
以外で、余計に寒く感じました。







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寒川神社は宮山駅の直ぐ傍、10分も歩かない
うちに三の鳥居がある境内に入りました。

境内の入口には戦後政教分離で使われなく
なった戦前の社格・国幣中社を冠した
社名の標柱が麗々しく立っていました。

寒川神社は平安末期から鎌倉初期にかけて
創建された神社で相模一ノ宮とされている。
相模には後に一ノ宮に列した鎌倉の鶴岡八幡宮もあり2つの一宮があるが歴史的には
寒川神社の創建が古いようです。

頼朝・鎌倉幕府や武田信玄から崇敬され、
後に家康・徳川幕府からも保護されていた。





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今回先達が寒川を選んだのは寒川神社に
ねぶたが飾られていることを知ってでのこと。
毎年元旦から節分までねぶたを飾るとのこと。

テーマはその年の干支であったり、
神話であったりするが、今年は社殿改築
20周年
を記念している。 

何故、寒川神社の神門にねぶたを飾るように
なったかは定かでないそうですが、
毎年青森のねぶた師が作成に当るそうです。
それにしても、青森の夏の風物詩を寒川では
なぜ正月に飾るのでしょう。

寒川神社はまた八方除の神として有名で、
名物は伊勢の赤福に似た八角形の「八福餅」
私も参拝のあとに土産にしました。




                     興全寺に立つ「畜霊碑」
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寒川神社に隣接して興全寺(曹洞宗)が有り、
本堂の前に立派な「畜霊碑」が建てられている。

これはこの地域で飼育している薩摩黒豚と
並ぶ銘柄の高座豚の種豚として英国から
輸入された「ベンドレーバグルボーイ号」
を慰霊し、畜産業の繁栄に感謝したもの。

高座豚が飼育されるようになったのは
明治期からの富国強兵の一環として
動物性蛋白増産が奨励されたため。

私は神奈川のこの地域が銘柄豚の飼育地
であること、それが戦前の富国強兵策と
関連していることなど全く知りませんんでした。

興全寺を拝観した後、寒川神社表参道を歩き神奈川県水道記念館を見学。
水道記念館は昭和8年に日本最初の広域水道として創設された県営水道寒川浄水場の
送水ポンプ所として使われていた建物をリフォームし、水をテーマとした展示場でした。


                   鉄道路線の名残を留める一之宮緑道
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水道記念館見学後一之宮公園に遣ってきました。

公園は一之宮緑道と一体となっていて、
緑道は昭和59年に廃線になった線路の跡です。
線路は寒川駅から1.5kmの西寒川駅までで、
大正11年に相模川から鉄道用砂利を運ぶ
貨物専用線として敷設された。

その後、周りに軍需工場などが立地し
通勤列車としても使われていました。





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旧西寒川駅跡(八角広場)の近くに、
鎌倉幕府創設に貢献した梶原景時館跡がる。

景時は義経との確執もあったが、
侍所所司など幕府内で重きを成しだが、
幕府内の勢力争いにより
謀反人とされ一族は討ち滅ぼされた。

幕府の要職に有った頃はこの地に広大な
館を構えていたそうだが、今は土に埋もれ
その縁を窺がうことも出来ない。

ただ館跡の一郭に伝梶原七士の墓標が
地域の人によって篤く祀られていました。

この間雪化粧の富士山や大山を眺めながら歩きましたが、
高速道などに遮られてベストなビューポイントには恵まれませんでした。
昼食時間となり各自弁当を持っていましたが、寒かったので寒川駅近くのレストランでランチ。


                   圏央道の橋桁の下に現れた富士山(寒川町一之宮から)
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寒川駅から西に30分あまり歩いたところに
大岡越前守忠相の菩提寺・浄見寺が有ると
いうので拝観することにしました。

さすがに南町奉行の菩提寺、鄙びた農村に
鎮座していましたが隅々までメンテナンスが
行き届いていました。愕いたのは賽銭箱、
ブロンズ製の巾着で賽銭を入れると何とも
清清しい鈴の音が響いてきたことです。

大岡家の墓地は鉄柵で囲まれていて墓前まで
入ることは出来ませんでした。


                  大岡家の墓地(左のひと際大きいのが忠相の墓標)
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大岡家の墓地は鬱蒼とした樹林に囲まれているが
墓地階段の左には珍しい「お葉つきイチョウ」
右には樹齢400年のナギノキなどの
巨木がありました。

←浄見寺の門前に掲げられていたポスター

大岡家一族は江戸開幕以来この地域を
本願地としてきたが、寛延元(1747)年分家の
忠相が南町奉行として、西大平藩(愛知県)
一万石の藩主となりました。

しかしその後もここ浄見寺を菩提寺とてして、
毎年4月大岡祭りの初日に墓前祭が
執り行われている。


浄見寺の拝観を終えた私たちは香川駅に向い、
駅近くに有る熊沢酒造が経営するカフェレストラン「天晴ーMOKICHI」に寄り、
「湘南ビール」で乾杯と反省会をして今月の歴史探訪ウォークを終えました。

今日歩いて、無人駅があるような田舎町にも古都鎌倉や江戸から遠くないせいか、
日本の歴史や物語に登場する史跡が幾つもあることを再認識させられました。



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by dojyou38 | 2018-01-29 10:02 | アウトドアー | Comments(10)